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「後宮の付けがこんな形で出るとは!」

【171】第三十六章 陸遜3

2013年5月2日(木)

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【170】第三十六章 陸遜2から読む)

 さて、この226年は、魏の曹丕が崩御した年でもあった。代わって即位したのは曹叡(そうえい)で、彼こそ曹丕と甄(しん)夫人の間にできた公子の一粒種である。

 一方で呉の孫権は、曹操や劉備より一世代下で若い(父親の孫堅が彼らと同年配)ため、まだまだ健在だった。

 また、蜀は諸葛亮が『出師の表』を奉って北伐に向かう。これは蜀の桟道を通って関中(長安のある渭水盆地)へ撃って出ることだ。この大義は、漢を乗っ取った魏を、劉氏の正当たる蜀が帝位奪還のための出兵となる。

 両者の戦いは、呉に利する。荊州西部を睨みながら、魏が漢中へ兵を集中すれば、呉は荊州北部や濡須口から魏を窺えるのである。この状態が、三国鼎立の基本形となる。

 黄武7年(228年)、孫権はハ(番/大里)陽県太守の周ホウ(魚/方)に偽りの降服をさせ、魏軍の将軍曹休に信じ込ませた。ハ陽湖の北側は、いわゆる江西で、魏と呉の争奪の地だ。

 周ホウが、その皖(かん)県へ出向くと告げると、曹休は大軍でやってきた。それを陸遜は朱桓(しゅかん)や全ソウ(王/宗)と迎え撃って一万を討ち取り、同数の牛馬や車、武器を鹵獲(ろかく)した。

 蜀と連携すれば、軍事行動も有利なのだ。諸葛亮の北伐の狙いはここにあり、この限りにおいて、呉は蜀に侵攻しないつもりだ。

 229年、孫権が帝位へ即(つ)くのは、以上のような状況を見据えてのことであった。また、夷陵の戦いの後、陸遜への信頼度が増して自らの印璽を預けて諸葛亮と交渉させた。つまり、呉は安定期を迎えたのである。

 陸遜は地方統治及び軍事や国事の任に当たり、皇族でも規範に背いた者は遠慮なく取り締まった。

 例えば建昌王の孫慮(そんりょ・孫権の次男。332年に20歳で早世)が闘鶏を屋敷に飼ったときは小屋を取り壊させ、射声校尉の孫松(そんしょう)が軍事教練を放棄したときには、お守り役の頭を丸刈りにした。

 また、この頃、夷州とダン(檀/木偏トル)州へ武装兵1万人を派遣して住民を連行する遠征を実行している。そして、公孫淵が孫権に接近してきたのは、前々章前章に記載したとおりである。

 双方とも、なぜか、孫権が独りではしゃいでいた観がある。

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「「後宮の付けがこんな形で出るとは!」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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