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「塩と鉄を専売にする」

【173】第三十七章 蒋エン2

2013年5月8日(水)

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【172】第三十七章 蒋エン1から読む)

 「首が、胴から離れなかっただけでも吉だ」

 蒋エン(王/宛)は昼寝から醒めるとそう思い、命冥加に感謝することにした。ところが数カ月も経たぬ内に、彼の什ホウ(方/大里)県令の赴任が決まった。

 そこは成都から北へ50km余りで、劉邦や諸葛亮の動きもよく判った。彼の在任中の建安20年(215年)、呉と劉備が南益州を東西に分けた。湘水の本流が境になるというので、彼の故郷(湘郷)は辛うじて劉備側の領地となったようだ。

 同じ年、曹操が蜀の桟道を通って漢中へ侵入し、五斗米道を解散させた。その後、彼は魏王を称したので、劉備は漢中へ進出して魏軍を関中へ追い返した。

 劉備が漢中王を称するのは、建安24年(219年)である。このとき、蒋エンは成都に呼ばれ尚書令(秘書官)となった。同年の秋には関羽が魏側の荊州拠点の樊城へと攻めあがり、救援隊の于禁軍3万を捕虜としたが、その多人数が仇となり、食糧不足の挙句に呉の食糧倉庫を襲い、結局呉軍に捕われて斬首された。これの遠因は、結局南荊州の租借契約を不履行にした報いと言える。

 翌建安25年(220年)、曹操の病没と漢の皇帝協が曹丕へ禅譲を行ったことで、魏帝国が出現した。これを看過できない劉備は、翌蜀の章武元年(221年)、漢帝国の再興を掲げて、自ら蜀(漢)皇帝に即位する。

 同じ年、張飛を暗殺した部下が、彼の首を持って蜀へ逃亡したことも手伝って、関羽の復讐を叫び、劉備は呉へ侵攻した。しかし、呉の都督陸遜の計略に掛かり、大敗北を喫して翌年白帝城(永安)で崩御する。

 皇太子だった劉禅が即位し、実質的には諸葛亮の政治が始まったのだ。

 蒋エンはこれらのことを、成都に文官として総て見聞してきた。いや、それだけではなく、諸葛亮の片腕として、重要な仕事を任されだしていた。

 諸葛亮は、彼にもっと上の役職に就けようとした。だが、今のままでは難しいので茂才に推挙しようとした。それは学問ができるので、皇帝の側近として働ける身分であり資格であった。

 だが蒋エンは、推薦を先輩に譲って自らは遠慮した。あるとき、諸葛亮が彼のもとを訪れる。その目は、心なしか凍っていた。

 「君は、なぜ茂才の推薦を受けぬのだ? 受けないのであれば、理由を周囲に明らかにすべきだ。推薦を待っている者もいるからな」

 それだけだが、目は饒舌だった。

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「「塩と鉄を専売にする」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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