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「馬謖が、街亭の守備に着いたらしい」

【174】第三十七章 蒋エン3

2013年5月9日(木)

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【173】第三十七章 蒋エン2から読む)

 「主上(皇帝劉禅)には…?」

 蒋エン(王/宛)は訊くと、さすがに諸葛亮は一呼吸措(お)いてから応える。

 「黙っていよう。武器や薬の種類まで、一々報告しないのと同じ扱いとする」

 そう言われても、蒋エンは反論せず黙っていた。事ここに至れば、もう『漢の大義』は、諸葛亮に一任された格好だからだ。翌年(226年)魏では皇帝ヒ(不/一)が崩御したが、呉では最初の鬼罌粟が花開き、孟獲を招いたうえで阿片が製産された。病人への使用は孟獲の指導で量が調整された。

 最初は宮刑の罪人に使ってみた。すると外科手術は、かつてより楽に行われた。それは執刀医も患者側もである。

 孟獲が南中へ帰ると、また放免したと諸葛亮は吹聴した。

 「蜀では『阿片』と言わず、『嫦娥散(じょうがさん)』と命名する」

 ここまでを見て、蒋エンは薬の実用性に感嘆した。だが、彼はこの時点での悪癖が判っていない。

 重罪人、特に死刑確定者に対して、嫦娥散は日常的に与えられた。人によって量や頻度が記録され、どの程度常用すれば中毒になるかも判った。

 禁断症状で胸を掻き毟(むし)る者や、それすら越えて廃人となって朽ち果てる者らを見て、蒋エンは身震いすら覚えた。

 「使いようでは、実に怖ろしい薬ですな」

 蒋エンは、諸葛亮がなぜ皇帝(劉禅)に報告せぬか、ここで初めて判った気がした。

 建興5年(227年)、嫦娥散の製造が少し軌道に乗ったところで、諸葛亮は北伐を決意して『出師の表』を奉った。

 ここには、敵国魏の悪辣さを詰った部分がなく。諸葛亮が逝った場合の遺言があった。

 「我の後任は、蒋エンになされよ」

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「「馬謖が、街亭の守備に着いたらしい」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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高坂 晶子 日本総合研究所調査部主任研究員