• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「この戦いでは多分帰れぬから後を托す」

【175】第三十七章 蒋エン4

2013年5月10日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

【174】第三十七章 蒋エン3から読む)

 「北伐を何のために行うか、お考えあれ。できるだけ魏軍を洛陽から引き離し、いつ呉軍に背後を突かれるか、疑心暗鬼に陥らす策戦ですぞ。相手を焦らすのも、戦略です」

 「男たる者、そんなまどろっこしいことを、いつまでもしてられるか!」

 このような調子で、魏延(ぎえん)と楊儀(ようぎ)の会話は噛み合わなかった。だが、魏延が徐々に浮いていった事だけは否めなかった。

 5度目の北伐は建興12年(234年)だった。このとき諸葛亮は、出陣前に蒋エン(王/宛)の執務室を訪った。折り入って話があるという。

 「この戦いでは、多分帰れぬから後を托す」

 そう言うと、彼は関中の五丈原へ出て籠城のような策戦を立てた。攻めてくる魏軍をできるだけ撃退して、呉の侵攻を誘う策戦だ。

 しかし、それを読んだ司馬懿(しばい)は挑発に乗らず持久戦を展開した。やがて、持病を抱えていた諸葛亮は陣没した。永くつづいていた痛みを、嫦娥散(じょうがさん)で紛らわしていたようだ。

 蜀軍の退却を、司馬懿は見送ってやった。

 それでも、魏延だけは退却に反対した。だが、楊儀は費イ(示/韋)や姜維(きょうい)らと協議して、諸葛亮の遺体を成都へ運ぶことにした。

 ところが魏延は自軍で退却軍を討とうとしたため、彼の軍兵は命令を肯かなくなった。孤立無援になった魏延は捕らえられ、将軍の馬岱に斬首された。

 「諸葛閣下の御遺体を、成都へ運んだのは我だぞ。反対する魏延を滅ぼし、閣下の命令を忠実に実行したに。それが、中軍師だと」

 楊儀は、誰憚らず不満を口にした。

 諸葛亮の後継者は、皇帝禅に預けられた筺(はこ)の中の紙に、その名が記されていた。誰もが納得する蒋エンが、尚書令及び益州刺史という要職に就いた。

 それに比べ、楊儀の職は統括する部署のない閑職だった。それは彼に対する諸葛評だ。彼は魏延の首が届けられたとき、それを何度も足蹴にしたという。

 そのような狭量を、諸葛亮は憎んだのだ。

 「こんなことなら、諸葛閣下が陣没されたおり、全軍で魏に投降しておくのだった」

コメント0

「サテライト「三国志」群像」のバックナンバー

一覧

「「この戦いでは多分帰れぬから後を托す」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

企業や官公庁の幹部のメールボックスの内容が、まるごと数十万〜数百万円で売られている事例もある。

名和 利男 サイバーディフェンス研究所上級分析官