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諸葛亮が5度目の北伐を掛けてくる

【178】第三十八章 曹爽3

2013年5月15日(水)

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【177】第三十八章 曹爽2から読む)

 曹爽(そうそう)は、突然世界が変わったと思った。誰もが、曹爽は曹叡一番の側近だと思っているからだ。

 やがて皇帝丕が崩御し、曹叡が皇帝に即位すると、曹爽への接待や付け届けが引きも切らぬようになった。

 無論、文帝(曹丕の贈り名)が指名した側近の発言力が大きくものを言うようになる。司馬懿は文帝以来の重臣であり、曹真は曹爽の父親だ。陳羣(ちんぐん)は曹操と同年配の古老で、曹休は曹真と同年配で双方とも歴戦の勇者だ。

 皇帝叡が即位した翌太和元年(227年)、蜀では諸葛亮が『出師の表』を皇帝禅に奉って、公然と魏への侵攻を唱えた。

 これに対抗する武人は司馬懿であった。実は、曹休と曹真はこの頃に、かなり体調を崩していた。だから、軍兵を指揮できる状態ではなかったのだ。

 翌太和2年(228年)、司馬懿は電撃的に孟達を攻め滅ぼした。もともと、蜀の将軍だった部将が、文帝には可愛がられたものの、崩御後は誰も彼を相手にしなくなったのだ。そして、密偵を派遣していたところ、諸葛亮から寝返りを打診されていたのが判った。

 この年、曹休が周ホウ(魚/方)の計略に掛かって敗北し、背中に腫瘍を病んで他界した。一方、諸葛亮はキ(示/大里)山へ侵攻してきた。だが、街亭を馬謖に守らせたため、経験不足の将軍は老将張ゴウ(合/大里)に赤子が手を捻られるごとく敗北した。

 政は、陳羣を中心に動いていた。

 この頃の曹爽は、散騎常侍の身分に取り立てられていたが、陳羣の言いつけどおりに動いていただけだった。

 そんな彼のもとには、類が呼んだ友が集まった。何晏(かあん)というのもその一人で、誰もが振り返るような美男であった。何進の孫に当たり、母親の尹(いん)氏が、曹操の側室になったことで取り立てられた。

 つまり、尹氏の連れ子である。だが、現代で言う徹底的なナルシストで、常に薄化粧をして、磨かれた壁面に姿が映れば見惚れていたという。

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「諸葛亮が5度目の北伐を掛けてくる」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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