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「どのような山岳民であろうと慰撫せよと言ったはずだ」

【188】第四十章 諸葛恪3

2013年5月29日(水)

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【187】第四十章 諸葛恪2から読む)

 呉の黄龍元年(229年)、孫権が皇帝に即位した。これにて、中華に魏、呉、蜀で3人の皇帝が同時に存在する事態となった。これが、『三国志』の言葉の根本である。

 孫権は、皇帝になると皇太子も決めた。孫登(そんとう)は聡明の誉れが高く、後日の名君振りが早くも期待されていた。

 諸葛恪は、張休(ちょうきゅう)、顧譚(こたん)、陳表(ちんひょう)らとともに皇太子登の側近となり、四友と呼ばれた。

 もっとも諸葛恪は、大雑把な性格ゆえの大きな仕事が孫権から与えられた。それは自ら志願したことでもあったが、丹楊郡の山岳民族を討伐して、呉軍に編入するというものだった。

 孫権は諸葛恪を丹楊郡太守と撫越将軍の地位と権力を与えて、騎馬兵を300騎付けた。彼は任地へ行くと、周辺の県令たちを呼んで、山岳民族対策を通達した。

 まず、善良な農民たちには屯田地での耕作に励むようにして、兵たちにはその奥地まで砦を築かせて防備を固めさせた。そして一番肝腎なことは、収穫時の作業の素早さである。

 今回は、穀物の総てを城邑内に運び入れたため、例年穀物を略奪することで飢えを凌いでいた山岳民族は、口に入れる物がなくなって困り果てた。

 背に腹は換えられず、彼らは高地の住居を捨てて降服帰順を求めるようになった。つまり、呉の住民として、城邑もしくはその近辺に住んで、兵役にも付くと申し出たのだ。

 「大人しく山を降りてきた者らには、危害を加えず呉の住民として慰撫すること!」

 諸葛恪は、周辺の県令にそのような通達を、改めて出した。ところが、臼陽(きゅうよう)県令の胡伉(ここう)は、山岳民の長で過激な周遺(しゅうい)を捕らえてきた。

 「どのような山岳民であろうと、山を降りてきた者は、慰撫せよと言ったはずだ」

 諸葛恪は、胡伉を命令違反者として斬刑に処した。

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「「どのような山岳民であろうと慰撫せよと言ったはずだ」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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