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「魏王の太子とは詩歌が巧みな者が相応しいのでしょうか?」

【191】第四十一章 毋丘倹1

2013年6月3日(月)

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【190】第四十章 諸葛恪5から読む)

 毋丘検(かんきゅう・けん)は、毋丘が姓である。諸葛(しょかつ)や夏侯(かこう)、司馬(しば)、公孫(こうそん)、令孤(れいこ)などと同じ二字姓ということだ。

 この姓は後の時代には丘を除いた一字姓に変化していくが、「貫」と同義とされている。

 毋丘倹の出生地は河東郡(かとうぐん)聞喜県(ぶんきけん・現在の山西省運城市聞喜県)である。洛陽から見れば、北西120km辺に当たろう。

 「ギョウ(業/大里)へ引っ越すぞ」

 毋丘倹が父の毋丘興(かんきゅうこう)について、直ぐに思い出すのはその台詞(せりふ)だった。

 曹操麾下の部将だった彼は、官渡の戦いや赤壁の戦いに従軍して、地道に地位を上げていったという。

 だから本貫(本籍地)を離れて、だんだん曹操の拠点へと居を移すことが許されたらしい。それが、主人の腹心になっていくということのようだった。

 毋丘倹が物心ついたのは、ギョウに銅雀台が完成した頃である。そして、曹操が魏国王に昇格すると若い武官に取り立てられた。しかしその前から、彼はギョウで、曹叡(そうえい)の良き遊び相手になっていた。

 「父上は、まだ太子ではない。詩作の巧い叔父上(曹植・そうしょく)がその地位になられるかもしれぬぞ。それでも、我を友としてよいのか?」

 曹叡は理知的だったゆえ、毋丘倹に対して思春期の少年らしからぬ問いをよくした。

 「吾は、曹叡様の友でございます。そのお方の御乃父がどのような身分かは、知るところではございませぬ」

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「「魏王の太子とは詩歌が巧みな者が相応しいのでしょうか?」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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