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「ならば、なぜ、冊立なさいませぬ?」

【193】第四十一章 毋丘倹3

2013年6月5日(水)

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【192】第四十一章 毋丘倹2から読む)

 曹叡の態度に、皇帝丕は甄夫人を思い出した。母鹿を甄夫人に準(なぞら)えれば、子鹿は曹叡になる。彼が射るのをためらったのも道理である。

 曹叡が深く一礼してその場を去るのを、皇帝丕は後悔の眼差しで見送った。それは、甄夫人への仕打ちに対する罪の意識でもあったろう。

 この頃の皇帝丕には、四友と呼ばれる側近がいた。皇太子時代から付いている司馬懿(しばい)、九品官人法(きゅうじんかんじんほう・官僚登用の推薦制度)を制定した陳羣(ちんぐん)、曹丕の太子擁立に貢献した文学者呉質(ごしつ)、それに朱鑠(しゅしゃく)らである。

 彼らと、曹一族の武人曹真(そうしん)と曹休(そうきゅう)が、巻き狩りでの一件を目撃していた。

 誰もが、曹叡の心根を察していた。また、彼が怒りに任せて皇帝丕を悪し様に言うこともしなかったことに、好感を抱いてくれた。それでなくとも曹叡は容姿が見栄えし、学問もよくできた。公子としても皇族としても、出色の存在である。

 ただ一つの問題は形式的にではあれ、生母の甄夫人が皇帝丕から罪を得たということだけだ。それも、皇帝丕の依怙地な性格から出たことは、本人が一番自覚している。

 だからこそここに至るまで、皇帝丕は皇太子を立てていなかった。それは、曹叡にその座を渡したいという、心理の裏返しである。

 不断は世情に疎く、無骨一辺倒の毋丘検(かんきゅう・けん)であったが、事曹叡のこととなると、彼は聞き耳を立て、周囲の噂を敏感に聞き取るようになっていた。

 そうは言っても、巻き狩りが終わってから後、魏は呉へ攻め込むことが多くなった。将軍曹休は呂範を破り、曹真と夏侯尚、張ゴウ(合/大里)らは江陵で、孫盛、諸葛瑾の部隊を包囲攻撃して陥落寸前に追い込んだ。

 だが、曹仁と臧覇(ぞうは)が敗れて疫病が流行したため、魏は攻撃がつづけられなくなり、呉を叩き潰すことが出来なかったのだ。

 毋丘倹は直接戦いに参加しなかったが、輜重(しちょう)部隊として曹真や夏侯尚の所へ軍需物資を運んだ。その際に、将軍たちの話を聞き囓(かじ)っていた。

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「「ならば、なぜ、冊立なさいませぬ?」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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