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「公孫淵のやつ遼東で独立を宣言しおった」

【194】第四十一章 毋丘倹4

2013年6月6日(木)

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【193】第四十一章 毋丘倹3から読む)

 曹叡が皇帝に即位すると、それまで影になり日向になり仕えていた毋丘倹(かんきゅう・けん)にも、陽が当たり尚書郎(しょうしょろう・皇帝の文書管理の秘書官)から羽林監(うりんかん・近衛兵の監督)になった。

 後者はともかく、前者のごとき仕事は武官畑の毋丘倹は苦手だった。その後、洛陽の典農(てんのう・荒廃地を開墾して耕地にするため指導する軍の長官)に転任した。

 皇帝になってからの曹叡は、少し性格が変わった。いや、包み隠していた本性を、少しずつ小出しにしていったと言う方が当たっているかもしれない。

 まず、文帝(曹丕)から罪を得て自害した母(甄夫人)の、名誉を回復することに躍起となった。かといって、父である文帝を悪くも言えず、誤解から出たものとして、両者を立てた。

 ただ、その後も母の霊を慰めるため、洛陽や旧都の許にまで華美な宮殿を造営した。

 この間、蜀の諸葛亮が『出師の表』を劉禅に奉り、蜀の桟道を越えて何度も攻め込んで来ている。その度に、司馬懿が将として喰い止め、一進一退の攻防戦を繰り広げた。

 毋丘倹は側近として、国内事情を鑑(かんが)みれば、不要不急の宮殿造営は控えるよう諫言した。だが、皇帝になって以降、我慢していた母恋しの感情が爆発した皇帝叡は、それを斥(しりぞ)けた。

 「しばらく、地方を見てまいれ」

 それで毋丘倹は、幽州(河北省北部&遼寧省西部)、予州(河南省南部&湖北省中部)、揚州(江蘇省南部&湖南省東部)の地方官を歴任させられた。

 それは、毋丘倹にとって、皇帝叡から見放された失意の日々であった。だが、彼の赴任中、平州(遼寧省東部&北朝鮮)の公孫淵が不穏な動きを始めていた。

 彼は呉の皇帝を称した孫権と誼を通じ、魏を揺さぶるような動きに出ていたのだ。かと思えば、孫権の使者を無礼討ちにして、洛陽へ首を送ったりしていた。

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「「公孫淵のやつ遼東で独立を宣言しおった」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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