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「敵将は、部下を捨てたぞ」

【195】第四十一章 毋丘倹5

2013年6月7日(金)

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【194】第四十一章 毋丘倹4から読む)

 皇帝叡が崩御して、聡明さを讃えられ明帝と贈り名された。後継は8歳の養子曹芳(そうほう)である。彼は、曹操と卞(べん)夫人の次男曹彰の孫らしいが、経歴は不明瞭だ。

 新皇帝が幼少なので、補佐役が付いた。それが、司馬懿(しばい)と曹爽(そうそう)である。ここから、彼らの興亡が始まるのであるが、詳細は第三十八章を参照されたい。

 だが、毋丘倹(かんきゅう・けん)にとっては、総てがどうでもいいことだった。彼はときおり郭皇太后へ挨拶にいくだけで、宮廷には一切顔を出さなくなった。

 おりしも高句麗が反乱を起こして、度々魏領内へ侵攻してきた。毋丘倹は渡りに船とばかり、討伐将軍を志願した。

 「命をもって、戦ってまいります」

 それは彼の本音だった。曹叡に仕えることで、彼の命は全うされたのである。もう主が故人となったのであれば、いつ討ち死にしても惜しくない命だった。

 無欲の毋丘倹は、敵の懐(ふところ)を深く抉(えぐ)るような策戦を立てた。それは騎兵1万で、2万を率いてくる高句麗王の位宮(いきゅう)を迎え撃つというものだ。

 沸流水(ふつりゅうすい・現在の鴨緑江)の畔へ侵出してきた位宮は、数の論理から毋丘倹は撤退すると睨んでいた。だが、憶せず攻撃してきたので愕(おどろ)いた。

 この時点で勝負はつき、毋丘倹は勝った勢いで高句麗の都を侵略破壊した。それでも位宮は降服せず、逃げ回って民を苦しめた。

 忠臣の得来(とくらい)なる者が位宮に諫言した。だが、聞き入れないため、ハンガーストライキをしたまま餓死する。毋丘倹は得来の墓を丁重に扱い、魏兵が荒らすことを堅く禁じた。

 その上で位宮を追跡して捕らえ、遂に処刑した。これにて、高句麗の反乱は終結し、平定までに3年が費やされた。

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「「敵将は、部下を捨てたぞ」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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