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「本来はそなたの男振りを妬かれていたのですぞ」

【197】第四十二章 諸葛誕2

2013年6月11日(火)

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【196】第四十二章 諸葛誕1から読む)

 「明帝(曹叡)は、御自分の容姿に自信をお持ちであった。だから、それを脅かす者を嫌われたのです」

 酒の酔いが廻ったらしく、何晏(かあん)が妙なことを言いだした。

 「いや、さすがに、そのようなことはございますまい」

 夏侯玄は何晏の視線を跳ね返し、また一杯呷(あお)った。

 「ならば、なぜそなたを免職になさいましたのかな?」

 「それは、悼皇后(とうこうごう・毛皇后の贈り名)の弟毛会殿との同席を厭がったから、不快の念を持たれたのです」

 「いやはや、人が好いですな。それは、表向きの理由で、本来はそなたの男振りを妬(や)かれていたのですぞ」

 諸葛誕は何晏の説明を聞いて、背筋が寒くなった。まるで、女どもの会話だからだ。

 明帝も夏侯玄も何晏も、現代で言う『イケメン』だ。特に何晏は薄く化粧までしていて、自分の影法師を振り返って見取れていたとの逸話がある。つまり、典型的なナルシストだったのだ。

 儒教において、容姿は重要視された。しかし、それは同じ条件ならそちらが出世するというだけで、最終的には実力がものを言ったはずだ。でなければ、容姿においては彼らに劣る諸葛誕は、立つ瀬がない。

 何晏にしたところで、何進や何皇后の孫で、母親は曹操の側室になった。無論、血筋だけでなく、学識も文才もあったので曹爽の側近に取り立てられたのだ。

 もともと、司馬懿(しばい)を皇帝芳(ほう)から遠ざけるよう曹爽に進言したのも、何晏だったといわれている。

 曹爽は司馬懿に地位だけが高い太傅(たいふ)なる名誉職を与え、彼を体よく蚊帳の外に置いて政を進めだすことができた。

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「「本来はそなたの男振りを妬かれていたのですぞ」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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