• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「そこもとを適当な所で処刑なさろう」

【198】第四十二章 諸葛誕3

2013年6月12日(水)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

【197】第四十二章 諸葛誕2から読む)

 正始10年(249年)、司馬懿(しばい)が曹爽を捕えた政変は、高平陵の変と呼ばれる。司馬懿は、仮病を使って味方まで欺いたのだ。ましてや曹爽は、油断仕切っていたのだろう。

 後日、曹爽をはじめ側近5人も、ことごとく処刑された。これにて、司馬懿の政権復帰が成り、諸葛誕も用いられることとなった。

 やはり、曹爽からやや距離を置いていたことが、ここで幸いしたのだ。だが、もっと大きく見ている者たちからは、単に政権が交代しただけで、皇帝芳(ほう)は蔑(ないがし)ろにされていることには変わりなかった。

 かつての後漢における外戚政治は、夭折した皇帝に代わった幼少の皇帝を支えることで始まった。曹爽や司馬懿は外戚ではないが、政を私する構造は同じである。

 幼少の皇帝も、やがては成長する。思春期から青少年へとなって、権力を外戚から取り戻そうとするとき、後漢では宦官を味方に引き入れたのだ。

 密議の場所は、男子禁制の後宮だった。皇帝以外の男子で、唯一の例外は宦官たちであったからだ。

 宮廷の事務処理に長けた宦官たちは、兵権を整える書類や印鑑や印璽をことごとく揃えて、外戚どもが何も知らぬ間に喉元に匕首(あいくち)を突き付けたのだ。

 こうして、政権は若い皇帝に戻るが、論功行賞で宦官を優遇したため、今度は賄賂(わいろ)政治に明け暮れる宦官の弊害に悩まされることになったのだ。

 この轍(てつ)を踏まぬため、文帝(曹丕)は宦官の権利や出世を大きく制限した。そのため、皇帝芳が宦官を使おうにも、それは難しくなっていた。だが、18歳になった皇帝芳自身は、後宮に入り浸って酒色に明け暮れる毎日だったのだ。

 このような状況なら、誰かが政変を起こして司馬懿を倒したとて、魏帝国の本質は全く変わらないことになる。

 そこで、司馬懿を倒すと同時に、皇帝を代えようと謀る一派が現れていた。無論、策謀は水面下で行われていたのである。

コメント0

「サテライト「三国志」群像」のバックナンバー

一覧

「「そこもとを適当な所で処刑なさろう」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

面倒くさいことを愚直に続ける努力こそが、 他社との差別化につながる。

羽鳥 由宇介 IDOM社長