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「あの吝い典農司馬がこんなに弾むとは」

【201】第四十三章 トウ艾1

2013年6月17日(月)

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【200】第四十二章 諸葛誕5から読む)

 吃音(きつおん)のために悩んだ人物で有名なのは、法家思想を始皇帝に説いた韓非(かんぴ)であろう。荀子(じゅんし)の塾で一緒に学んだ李斯(りし)は、話し振りを嫌われるであろうと高を括(くく)っていた。

 だが、聡明な始皇帝(当時は秦王政)は、内容の濃さを重要視して吃音を聞き流した。その辺の逸話は、さすがと思わせる。

 さて、今回登場する鄧艾(とうがい)も、吃音であった。

 彼は早く父親を失ったが、病没したのか事故死だったのか、母は言わなかった。

 とにかく幼少の頃、荊州の義陽郡(ぎようぐん)棘陽県(きょくようけん)から、汝南郡(じょなんぐん)へ移った。つまり、河南省南部から湖北省中部へ行ったことになる。

 それが、赤壁の戦い前のことだったと記憶する。だとすれば、曹操の荊州侵攻に際し、父親は戦死だった可能性がある。それも、曹操に抵抗して討たれたのであれば、その状況を声高に言うのは憚(はばか)られよう。

 鄧艾は、母の沈黙の意味を理解した。

 まだ十歳にもならぬ鄧艾は、子牛の世話をする役人の下働きをした。彼は独学で文字を覚えて子牛に名前を付け、板切れにそれらを書いた。そして、与えた餌の量や時間を、数年間書きつづけていった。

 それが、牛の成長記録になる。

 「こんな管理上手な子供は、そんじょそこらで見たことがないな」

 上司の一言に、母親は何を思ったのか、彼と一緒に潁川郡(えいせんぐん・河南省中部)へ移った。遠縁が塾長をしていたからで、まるで、孟母三遷を地でいくような話だ。

 鄧艾は、苦学してようやく都尉学士(といがくし)にまでなった。だが、吃音のため、取り次ぎをする書記や秘書の役回りである幹佐(かんさ)にはなれなかった。

 与えられた職は、襄城県(じょうじょうけん)での稲田守叢草吏(とうでんしゅそうそうり・水田の収穫を管理する役人)であった。給料が安く、あまり成り手のない役回りだった。それゆえ某上司の父親が、哀れがって色々援助してくれた。

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「「あの吝い典農司馬がこんなに弾むとは」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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