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「これは10万の兵の5年分に当たりましょう」

【202】第四十三章 トウ艾2

2013年6月18日(火)

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【201】第四十三章 鄧艾1から読む)

 郭玄信(かくげんしん)は、自宅謹慎の身であった。縁者の吉本(きつほん)が、建安23年(219年)、曹操抹殺の政変を謀って処刑されたことによる連座だった。

 罪人の彼が洛陽へ行けるのは、曹操が崩御して曹丕が魏王になり、更に禅譲を受けて皇帝になったためらしい。つまり、国家の慶事にともなう恩赦(おんしゃ)が出たのだ。

 また、新たな人材登用があって、謁者(国賓級の接待係)に推薦されたのである。これは地元にとっても名誉なことゆえ、典農司馬は便宜を図ったのである。

 さて、鄧艾(とうがい)と石苞(せきほう)を馭者にして、郭玄信は出発した。そして、数里の間2人と喋ってみて、彼は充分に満足していた。2人が中心になってしてきた農業指導が、国家的にも出来そうに思ったからだ。

 「儂は、主上(皇帝丕)の側近である司馬閣下(懿=い)にも面識がある。今度、この件を話して、国家事業として取りあげて貰おう」

 鄧艾と石苞は郭玄信の話を、馭者の労力へのお愛想だと思っていた。ところが、ものの二月も経たぬ内、彼が襄城(じょうじょう)の典農司馬へ手紙を寄越し、次の上計吏として2人を上京させるようにとあった。

 2人とも20歳を過ぎた青年なので、惜別の宴が張られ、周囲は期待をもって見送ることになったのだ。

 洛陽へ着いた鄧艾と石苞は、郭玄信の紹介で、司馬懿と会うことになった。

 「儂は、魏の農業政策を換えようと思っておる。これまでは、許都に近郊の稲作が中心だったが、それでは呉や蜀を相手に戦うための備蓄が少な過ぎるし、運搬に不便だ」

 許都近郊には、鄧艾と石苞がいた襄城は入っていないようで、2人はほっとする。

 「それで、閣下。どちらへ水田を拡げるおつもりでしょう?」

 鄧艾の質問に、司馬懿がにたっと笑う。

 「陳県や項県以東で、寿春までの地域だ」

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「「これは10万の兵の5年分に当たりましょう」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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手嶋 龍一 作家・ジャーナリスト