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「あいつは諸葛宰相を気取っているのだ」

【205】第四十三章 トウ艾5

2013年6月21日(金)

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【204】第四十三章 鄧艾4から読む)

 「あいつは、諸葛宰相を気取っているのだ」

 姜維(きょうい)が北伐にこだわるのを、鄧艾(とうがい)はそのように批判した。

 実際には、ほぼ睨み合いだった五丈原の戦いで、諸葛亮が覚悟の陣没をした。成都へ戻った蒋エン(王/宛)も費イ(示/韋)も、北伐よりも内政に目を向けた。彼らの政治力は、諸葛亮に迫るほどの豪腕だった。

 その彼らが、病死したり暗殺者の凶刃に斃れた後に、姜維が全権を掌握したのである。彼は、諸葛亮に見出されたこともあり、もともと主戦論者だった。

 「諸葛宰相の遺志を嗣(つ)ぎたい」

 それが、姜維の口癖だった。しかし、5度の北伐で疲弊した蜀は、経済を軍事費以外に使いたかったのだ。彼は、そのあたりが判らない。そこが、前任者に比べて知力が劣っていると批判されるゆえんである。

 鄧艾の見方も同じだった。敵ながら、軍事にかけては油断ならなかったが、おおよそ手の内が判った。それ以前に、戦うべき時期かどうか考えろと言いたかった。

 確かに、最近彼が北伐に来たのは、諸葛誕が反乱を起こして、呉の援軍を受けたのを見越したようだ。諸葛亮の策戦に似てはいる。

 だが、互いに連携していたわけではない。魏の大将軍司馬昭は、諸葛誕と呉の援軍には王基を当たらせた。彼だけでは持て余し気味だったので、皇帝髦(ぼう)の親征を仰ぎ、自らも26万の軍を率いて、敵を圧倒した。

 姜維は戦果を誇りたく、沈嶺北方の砦(長城)にある穀物を狙った。しかし、鄧艾は持久戦で相手を逆に兵糧攻めで退却させた。

 一方、諸葛誕は翌甘露3年(258年)に討ち取られ、これで姜維も兵を撤退させた。蜀内部からも北伐が国力を疲弊させているとの批判が高まり、彼の北伐は3度で止んだ。

 その後、魏、いや、司馬氏へ反逆したのは、皇帝髦自身であった。

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「「あいつは諸葛宰相を気取っているのだ」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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牛島 信 弁護士