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鏡像との別れと帰郷

ホフマン「大晦日の夜の冒険」を読む(11)

2013年4月30日(火)

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影の欲望

 『プラークの大学生』の影は、主人公の欲望を先取りし、同じ欲望を充足させるという能動的な役割をはたす異例な影だった。しかし欲望の影にすぎないのであるから、影そのものが欲望を満たしているというよりも、エスの欲望の結果を示すという意味をそなえていた。その意味では影は欲望の影であると同時に、主人公の超自我の裏の顔だと言えるだろう。

 そして影の欲望は、欲望そのものの充足よりも、もとの影に戻ることにあるかのようである。この物語で影は、結局は主人公に殺されることを願っているのである。影は主人公につきまとい、挑発し、自分を殺すように仕向ける。影は殺されることで、もとの影の地位を回復できたのである。そしてそれは主人公の死を意味した。

美しい分身

 このように影が超自我の裏の顔を演じるのは、オスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』でも確認できる。この小説には明示的な契約の要素は含まれていない。というのも、ワイルドはもはや悪魔との契約などは信じてはいないからである。契約の代わりに行われたのは「祈り」だった。これについてはいずれ紹介しよう。この小説では、ドリアンは自分の肖像画が自分の真のありかを示す鏡に変貌していること、そして自分は年をとらず、肖像画だけが年をとることに事後的に気づくだけなのである。そして自分の「祈り」のことを想起するのである。

 さてこの小説に登場するドリアン・グレイは美貌の青年である。若さと美しさを誇るドリアンは、高名な画家に肖像画のモデルになってくれと頼まれる。そして完成した自分の肖像画をみて、複雑な感興に襲われる。というのも、その絵の自分はあまりにも美しかったからである。。

 たしかに今の自分はこの絵と瓜二つだろう。しかしモデルになっている間に訪問してきた画家の友人から、「青春がいかに短いものであるかについての怖しい警告」[1]を聞かされたばかりだった。そして「そうだ、いつかはこの顔も皺が寄ってしなび衰え、目は霞んで色つやを失い、優美なからだつきも崩れて醜くなってしまうのだ。……自分は怖しく、醜く、そして無骨になってゆくのだ」[2]と、今後は自分の美しさを衰えるばかりであることを予感するのである。

 そして「ああ、もしこれが逆だったら! 絵のほうが変化して、ぼく自身はいつまでも現在の姿のままでいられるのだったら! あなたはなぜんこんなものを描いたのだ? いつかこの絵はぼくをあざ笑うだろう」[3]と嘆くのである。


[1]オスカー・ワルイド『ドリアン・グレイの肖像』福田恆存訳、新潮文庫、56ページ。
[2]同。
[3]同、59ページ。

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「鏡像との別れと帰郷」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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