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「鍾会から投降を勧告する文が参りました」

【209】第四十四章 姜維5

2013年6月28日(金)

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【208】第四十四章 姜維4から読む)

 黄皓(こうこう)なる宦官が、皇帝禅を良いように操っている。いや、それだけでなく、姜維の北伐の成果が上がらなかったことにこと寄せて、軍事費を後宮の経費にと画策してもいた。

 「奸賊は、儂が成敗いたしましょうか?」

 姜維(きょうい)は皇帝禅に直訴して、黄皓を見付け次第に斬り捨てると息巻いた。そのため、黄皓は姜維が北方(漢中)の守備に戻るまで、成都から姿を消してしまった。

 このような状況は、呉から表敬訪問していた使節の薛(せつ)ク(王/羽)も把握していた。彼は皇帝休にありのまま報告し、蜀との付き合いは距離を置くことになった。

 呉が知ることは、当然ながら魏も知り得る。

 蜀の景耀5年(262年)、遂に魏が蜀に兵を向けた。今ならば、成都へ侵攻できると踏んだのだ。将軍は、鄧艾と鍾会である。

 姜維はすぐに迎撃したが、人数が足らず先に兵を動かした鄧艾に敗れて退却し、漢中の西側に位置する沓中(とうちゅう)に籠城した。彼は鄧艾に包囲されて、皇帝禅に援軍を要請したが、いつまで経っても来ない。

 それは、成都へ帰ってきた宦官の黄皓が要請書を握り潰していたからだ。憎む相手を陥れるためなら、自らの首を絞める行為に気づかない。これが宦官の曲がった心理である。

 蜀の炎興元年(263年)、鍾会が遅れて進軍してきた。彼の軍は姜維が籠城する漢中の西(沓中)を避け、正面玄関とも言える駱谷道から侵攻したのである。

 「蜀の北側が騒がしいようだな」

 この頃になって、劉禅の周辺もようやく魏の進軍に気づき、張翼(ちょうよく)と董厥(とうけつ)を陽安関(漢中東部に向けた関所)へと進軍させる。また、廖化(りょうか)を姜維の援軍として差し向けた。

 「鄧艾が動きだしたな。蜀軍が漢中へ向いたということだろう」

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「「鍾会から投降を勧告する文が参りました」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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名和 利男 サイバーディフェンス研究所上級分析官