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「諸葛亮が執拗に我らへ戦いを挑むのは?」

【215】第四十六章 司馬昭1

2013年7月8日(月)

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【214】第四十五章 鍾会5から読む)

 戦いとは、真綿で首を絞めるような作業だと、司馬昭は実戦を見て解(わか)った。

 彼の初陣は、諸葛亮が皇帝禅に『出師の表』を奉って北伐を宣言した翌年、つまり太和2年(228年)であった。

 それは父親の司馬懿(しばい)が、新城郡の孟達を攻めたときに随行したものだった。

 孟達は、関羽が呉軍に処刑されたとき、彼の援軍要請に応えていなかった経緯があり、蜀から魏へ亡命してきた人物である。無論、劉備からの処断を怖れたのだ。

 ところが、曹操が彼を甚く気に入り、身分や地位などで破格の持て成しをした。曹操が健在なときは1年ばかりで、代わって即位した曹丕は、孟達を疎んじた。だから、蜀との国境に接する荊州北部の新城郡へ左遷した。

 このような状況を掴んでいた諸葛亮は、孟達に過去の罪は問わないとして、再度の寝返りを勧めたらしい。

 それでも、司馬懿は初めからそれを読んでいて、彼の偵察をしていたのだ。そして、証拠を掴むや速攻で叩いたのである。

 ここまでの経緯は、司馬懿の分析を傍で見ていて、司馬昭にもよく理解できていた。そして、戦いとは戦う以前に決しているとも思ったものだ。

 諸葛亮の北伐は5度に渡るが、司馬昭はその度に駆り出された。長男の司馬師は留守居役に回されることがあったが、彼は次男ゆえに戦場の経験を積まされる。

 この経験は後に生きるが、彼が一番深く印象に残っているのは、最後の北伐である。攻めてきたはずの諸葛亮が、五丈原に立て籠もるという行動が奇異に見えたのだ。

 それに対して父司馬懿は、絶対に撃って出なかった。

 「諸葛亮は、膠着戦にしたいのだ」

 「いつまでも、だらだら戦いをつづけたいということでしょうか?」

 「そうだ。ここで魏を消耗させて、呉が呼応することを期待しているのだ。」

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「「諸葛亮が執拗に我らへ戦いを挑むのは?」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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