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「父上は、我が誰か、すっかり忘れておられるのだ」

【216】第四十六章 司馬昭2

2013年7月9日(火)

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【215】第四十六章 司馬昭1から読む)

 五丈原での睨み合いが決着すると、司馬懿(しばい)は矛先を遼東半島へ向けようとした。魏が蜀と睨み合っているのをいいことに、公孫淵が恣(ほしいまま)にしたい放題で暴れていたからだ。

 念のため、蜀の反撃がないかと長安から五丈原方面の関中を睨み、呉が合肥や濡須口から攻めてこないかにも神経を尖らさねばならなかった。

 そのため、まず毋丘倹(かんきゅう・けん)を討伐に向かわせたが、おりから遼水が増水して、土地勘に優る相手に負けてきた。そこで景初2年(238年)、司馬懿が自ら出張ったのだが、それに司馬昭も随行した。

 ここでは、汚名返上とばかり毋丘倹が奮戦し、美事に公孫淵を撃ち破ることができた。

 倭国(日本)から卑弥呼が使いを送ってきたのは、この直後である。いや、もっと早くから使節を送っていたが、公孫淵に足止めされていたのかもしれない。

 これらを鎮めてほっとしたのも束の間、皇帝叡が崩御した。曹丕といい曹叡といい、魏の草創期の皇帝が若くして黄泉に旅立ったことは、魏政権の基盤作りをすっかり疎(おろそ)かにさせた。

 これは、後漢が疲弊したのと、同じような構図になる。つまり、何も解らない幼帝が即位して、後見人が政を見るからだ。傀儡(かいらい・操り人形)が据えられて、大臣一族による独裁政治になっていくのだ。

 新しく皇帝になった曹芳(そうほう)には、曹爽(そうそう)と司馬懿が後見人になる。曹爽は曹姓ではあるが、曹操との血縁関係はない。曹爽の父は曹真であるが、彼はもともと秦姓であった。

 彼の父(曹爽の祖父)が曹操の身代わりになって死んだことがあり、息子の秦真が曹姓を賜った経緯から、曹爽も曹姓を名告っていたのだ。

 曹爽は大将軍の地位に与って、一派を形成しだした。一方の司馬懿は太傅(たいふ)という名誉職を押し付けられ、政の実権を失っていった。

 司馬昭は一瞬やきもきしたが、じっと待つ態度は五丈原と同じだと信じていた。

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「「父上は、我が誰か、すっかり忘れておられるのだ」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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