• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「魏の兵たちは鍾将軍や姜維を襲って殺害しました」

【218】第四十六章 司馬昭4

2013年7月11日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

【217】第四十六章 司馬昭3から読む)

 皇帝髦(ぼう)は、郭皇太后に対して謀反を起こした。それゆえ防禦したが、臣下が皇帝を死に至らしめた。これは、真に不忠のいたすところなり。よって、成済を一族誅滅とする。

 皇帝髦の決起と鎮圧に関して、このような説明がなされた。不忠は成済一人が被る格好で、司馬氏の「し」の字も出てきていない。しかし都人士は、噂からおおよその真相を掴んでいる。

 ここで明瞭になったことは、今は司馬氏が全盛の世であるということだ。それゆえ、新皇帝で15歳の曹奐(そうかん・曹操の曾孫)など、また操り人形としか思っていない。

 「蜀の皇帝禅は、宦官の黄皓(こうこう)を寵愛して、彼の言いなりです」

 司馬昭はその報告に、にやりとした。

 これで、姜維(きょうい)の軍に補給が滞っていた理由が判ったからだ。そこからは、更なる推理ができる。

 宦官という生き物は、国家百年の計などとは縁遠い存在で、自己の利益以外には興味を示さない。恐らくは、後宮の予算を図るために、軍事費を切りつめさせたのだ。それは、成都では目立たぬ辺境の軍事費からということになっているのだろう。

 それは、きっと姜維だけに留まらない。もう少し間者に調べさせれば、その迸(とばっち)りが親衛隊に及ぶのがいつか判ろう。

 司馬昭は、五丈原や曹操独裁下の父を思い出し、吉報をじっと待った。そして、その報告は2年後の景元3年(262年)に来た。

 「蜀の国家予算から、軍事費の割合が低くなり、一頃の半分以下になっております」

 影響は軍の装備が古いままであることや、砦の城壁が崩れても、一向に修復されぬまま放置されている光景からも裏付けられる。まさか、罠とも思えないようだ。

 「よし、今こそ、蜀へ軍事侵攻する。まずは鄧艾(とうがい)に姜維を攻めさせ、やつを釘付けにしよう。それが終われば、鍾会(しょうかい)の出番だ」

コメント0

「サテライト「三国志」群像」のバックナンバー

一覧

「「魏の兵たちは鍾将軍や姜維を襲って殺害しました」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

「絶対これしかありません」というプランが出てきたら、通しません。

鈴木 純 帝人社長