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「そのような理由だけで孫峻殿は動いたのか?」

【221】第四十七章 陸抗2

2013年7月17日(水)

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【220】第四十七章 陸抗1から読む)

 「はい、必ず」

 陸抗は応えたが、もう後の祭りだとも思った。皇帝権の御乱行は、決して父陸遜に対してだけではない。二宮事件に踊らされて散った張休(張昭の息子で孫和派)をはじめ、総ての命に対して皇帝権の深い反省があり、その精神の萎縮が彼の命を削っている。

 末っ子の孫亮は、まだ9歳の少年であるため、皇太子冊立と同時に補佐役が決まっていた。それは諸葛恪の他、孫弘(そんこう)、孫峻(そんしゅん)、滕胤(とういん)、呂拠(りょきょ)といった面々である。

 陸抗は柴桑へ戻り、赤烏15年(252年)を迎えた。そして初夏に入った頃、皇帝権が崩じる。それは、陸抗の心には織り込みずみである。だが、彼へは訃報と一緒に、血腥い事件まで伝わってきた。

 次期皇帝は孫亮であるが、その後見役として権力を奪取しようと、孫弘が諸葛恪に崩御の事実を知らせなかった。しかし、その程度の小細工は諸葛恪に読まれていた。

 彼は以前から宦官を買収しており、皇帝権に異変があれば知らせるように手を打っていた。それに孫峻からも、孫弘の動きが報告されてきたので、罠に掛かった振りをして孫弘を討ち取ったわけだ。

 そう言えば二宮事件に際して、孫弘は孫覇派だった。彼と一緒に、諸葛恪の長男の諸葛綽(しょかつ・しゃく)がいた。皇帝権は、孫覇に自害を命じた直後、諸葛恪に息子の再教育を命じていた。

 そこで諸葛恪は、諸葛綽を斬って詫びを入れたのだ。それゆえ、何ら咎めを受けなかった孫弘を恨んでいた。それを言えば陸抗も、孫弘は父陸遜を陥れた一人であったから、快哉(かいさい)を叫んでもよかった。

 陸抗はそのようなことを思いながら、皇帝権の葬儀に立ち会った。そして、孫亮の即位式が終わると、直ぐに柴桑へ取って返す。それは、国家元首の交代に際して、敵国の侵攻がよくあるからだ。

 諸葛恪をはじめとした少年皇帝の介添役らにも、挨拶は欠かさなかった。無論、心の中では会いたくない気持の方が強かった。陸抗にとっては宮廷内の権力闘争など、一番苦手だったからだ。

 諸葛恪は以前の異動で、跡を濁して柴桑を発った。それを、今もって羞じているのか、陸抗への対応はやけに柔らかである。

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「「そのような理由だけで孫峻殿は動いたのか?」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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川野 幸夫 ヤオコー 会長