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「趙雲は2度もおまえの恩人になったぞ」

【224】第四十八章 劉禅1

2013年7月22日(月)

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【223】第四十七章 陸抗4から読む)

 「阿斗(あと)よ。おまえは一生、子龍(趙雲の字)を命の恩人と思って感謝せよ」

 生前の劉備は、それを口癖のようにして劉禅に言い聞かせた。劉禅は、劉備と甘夫人との間に生まれた長男で、幼名を阿斗といった。

 彼は建安12年(207年)荊州の襄陽で生まれた。だが、翌年からは曹操の荊州攻略が始まったので、劉備は一門を連れて長江の右岸へ向かっていく。

 百姓(ひゃくせい・庶民)らと一緒の南下で、行軍は遅れに遅れた。結果、長坂坡(ちょうはんは)あたりで曹操軍に追いつかれ、一戦交えねばならなくなった。

 そこで、曹操軍に一泡吹かせる活躍をして、勇名を馳せたのが張飛である。だが、足手まといになってはと、甘夫人が阿斗を抱いたまま古井戸に飛び込もいうする一幕もあった。

 幸い趙雲がその身体を抱えて白馬に乗せ、事なきを得た。それを、劉備は劉禅に何度も言って聞かせたのだ。

 そう言えばと、劉禅は井戸を見ると思い出すことがある。それは、他界した母と自分の姿だ。2人して、底を眺めていたような、後付の記憶がある。

 成人してからのもっと怖ろしい発見は、司馬遷著『史記』の「項羽本義」に記された一節を読んだときだ。そこには、劉邦が項羽に追われて逃げる途中、呂后が生んだ劉盈(りゅえい・後の恵帝)と魯元公主を、馬車から突き落としたとあった。

 それを馭者の夏侯嬰(かこう・えい=曹操や夏侯淵、夏侯惇の先祖)が、諫めて拾い上げている。その場面は、2度もある。

 「父上の邪魔をしては、なりませぬぞえ」

 母の甘夫人は翌年、阿斗を見ながらそのように遺言して鬼籍に入った。それも、劉禅の記憶にはない。ただ、侍女どもが話して聞かせてくれただけだ。

 しかし、それらを取り混ぜて辻褄を合わせれば、荊州から長江右岸へ逃げる際、劉備は甘夫人と阿斗を置き去りにしたわけだ。

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「「趙雲は2度もおまえの恩人になったぞ」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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