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「司馬一族よりも、注意を要する男がおります」

【226】第四十八章 劉禅3

2013年7月24日(水)

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【225】第四十八章 劉禅2から読む)

 諸葛亮亡き後の蜀では、尚書令の蒋エン(王/宛)が政を取り仕切った。多少の混乱はあったが、これは諸葛亮の遺言どおりなので、周囲は受け容れて反発はなかった。

 蜀は国家を、経済的に立て直さねばならなかった。それでも不幸中の幸は、魏では皇帝叡(明帝)が崩じ、曹爽が司馬懿(しばい)から実権を奪ったことだ。また、呉でも孫権が、嫦娥散(じょうがさん)中毒で錯乱していた。

 つまり、蜀と対立する双方の国とも、軍事進出どころではなかった。特に魏は、図らずも武人として第一人者の将軍司馬懿を孤立させたため、少なくとも蜀への攻撃に出ることはほとんどなかった。

 「呉からの攻撃も、なかろうな?」

 劉禅がときおり聞く魏や呉の状況で、一番気になるのは、攻撃を受けるかどうかだ。魏にその気配がないのなら、もう一つから攻撃されないかと、彼は神経質に訊ねた。

 両国に関して。彼の関心事はそこだけで、他のことはなかった。

 「呉では、皇太子の登殿が病死されたとのことです。ところが、後継者を廻(めぐ)って、さまざまに揉めているとのこと」

 董允が説明するのは、二宮事件の始まりである。だが、詳しい内容を聞くまでもなく、呉の侵攻がないとなれば、劉禅の関心はそこでぷつりと消えていた。

 それでも赤烏7年(244年)、曹爽が夏侯玄に策戦を立てさせ、6万とも7万とも言われる大軍で、駱谷道を侵攻してきたとき、劉禅は喰い入るように報告を待っていた。

 蒋エンが病気がちで、執務を代わった費イ(示/韋)が、大将軍として蜀の桟道の出口に当たる漢中に詰めた。彼は姜維(きょうい)や王平といった部将たちに命じて、魏軍を迎撃させる。

 大軍だけに、アイ(阜偏/益)路を通過するときが狙い目である。興勢囲(こうせいい)がその場所で、魏軍は岩を落とされたりして散々に撃ち破られた。

 結局、曹爽は戦果を挙げられず、そのまま洛陽へすっこんだ。司馬懿を凌ぐ名声を諦めて、後は国内の引き締めにかかろう。

 「魏からの攻撃は、しばらくございますまい」

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「「司馬一族よりも、注意を要する男がおります」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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