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「見当違いは困りますぞ。総領は孫晧です」

【230】第四十九章 孫晧2

2013年7月30日(火)

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【229】第四十九章 孫晧1から読む)

 建興2年(253年)、前年、魏に対して大いな戦果を挙げた諸葛恪は、更なる名声を求めて積極的に魏へ侵攻した。だが、魏の大将軍司馬師は、文欽や毋丘倹(かんきゅう・けん)らの部将に命じて、合肥新城を死守させた。

 諸葛恪の包囲は百日に及んだものの、疫病の流行などで兵の大半が使い物にならず、攻撃を諦めて撤退してきた。

 「勝つこともあれば、負けることもあろう」

 孫徳は暢気に言っていたが、その年の内に大事件が起こった。宮中の宴会において諸葛恪が孫峻に暗殺されたのである。

 「主上の許しもなく、都を武昌へ遷し、罪人孫和を復活させようとした姦臣を成敗した」

 孫峻の口上が流れて、宮中は蜂の巣を突いたようになった。そのとき、孫徳は泣きそうな表情になった。だが孫晧は、以前の宮殿の薄暗い部屋からの光景を思い出していた。

 孫峻と全公主は、諸葛恪を疎ましく思っていたのだ。孫峻は権力欲から、また全公主は孫和を都へ復帰させたくなかったからだ。2人は利害が一致して、密通に及んだらしい。

 呉の実権が孫峻に移って、孫和と張夫人、何姫らが長沙から引き摺り出された。

 「王の印綬返還し、新都へ移って沙汰を待て」

 新都とは、諸葛恪が整備し始めていた武昌のことではない。現在、安徽省と浙江省、江西省の境が交わる辺である。有名な黄山の南方で、当時は郡であった。

 今回は孫和や張夫人、何姫だけでなく、孫徳も孫晧も移住せねばならなかった。

 「地方へ行けども、我らの関係は変わらぬ」

 孫徳が言うのは、父孫和を通じての上下関係である。彼らが指定された新都の屋敷へ着いたとき、門の外にいた従者のようすが異様であった。

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「「見当違いは困りますぞ。総領は孫晧です」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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