• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「どうかな。いつ頃、魏に侵攻できよう?」

【232】第四十九章 孫晧4

2013年8月1日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

【231】第四十九章 孫晧3から読む)

 魏の司馬昭が、蜀への侵攻を虎視眈々と狙っていた頃、呉では皇帝休が古典の研究に勤(いそ)しんでいた。もう政には飽きたのか、諸般を張布と濮陽興(ぼくようこう)に任せていた。

 宮廷内は彼ら二人の専横との声が、最近親しくしている左典軍の万イク(或にノノ二画足す)から孫晧へ、風聞として伝わる。

 「主上(皇帝休の二、三人称)が、文学博士の韋曜(いよう)や盛沖(せいちゅう)を宮中へ呼んで、道理や学芸について論じ合おうとなさると、張布が妨害したと言います」

 銭唐は近いので、孫徳が、そのようなことを注進にきた。それは、孫晧も聞いている。

 「主上は、張布が不正の告発を怖れていると先刻御承知で、『おまえの地位は安泰だから、心配するな』と仰せとか」

 「つまり、孫俊や孫リンより小者なのだな」

 皇帝休は、魏や蜀への外交活動も積極的に行った。使節の報告は、まず魏のようすからで、呉への防備がやや手薄というものだった。ところが、蜀から戻った薛ク(王/羽)は、驚くべきことを言いだした。

 彼は、皇帝禅の無能と宦官黄皓(こうこう)の専横と腐敗を余すところなく報告し、蜀との外交はこの際取り止めよと断言した。

 「魏の大軍が、蜀に向けて動いている由」

 斥候からの報告で、呉への備えが手薄の意味が判った。呉としては蜀への義理から、魏に向けて兵を示さねばならぬだろう。

 宮廷の重臣たちがそう思っていた矢先の永安6年(263年)、蜀の皇帝禅が、あっさり降服したと伝わってくる。それは奇しくも、薛クの報告を裏付けていた。

 ならば、呉の軍事行動は取り止めである。

コメント0

「サテライト「三国志」群像」のバックナンバー

一覧

「「どうかな。いつ頃、魏に侵攻できよう?」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

高齢者に配るお金はあるが、少子化対策のお金はないと言うのは、おかしいでしょう。

小泉 進次郎 衆院議員