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「司馬大将軍の御曹司、一杯いかがかな?」

【234】第五十章 司馬炎1

2013年8月5日(月)

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【233】第四十九章 孫晧5から読む)

 『選挙』なる言葉が、選挙とはほぼ無縁の中国で生まれたのも皮肉である。

 もともとは、『郷挙里選(きょうきょりせん)』と言われる人材登用のための推薦制度だった。「里で選んで、更に能力を審査して、郷から中央へ挙げる」と、いうわけだ。

 漢の武帝時代に始まった制度で、日本はまだ弥生時代だったことを思えば、血統だけではなく、広く一般の底辺からも能力を開拓する発想は、世界的にも進んだ文化であった。

 張騫(ちょうけん)、東方策(とうほう・さく)、桑弘羊(そうこうよう)、公孫弘(こうそん・こう)などといった優秀な人材が出てきたのも、その制度のお蔭である。

 それは後漢までも引き継がれたが、途中から「郷挙」の段階での賄賂が横行した。つまり、地方豪族の子弟が中央へ推挙されるケースが多くなったのだ。

 それが高ずれば、政治腐敗が一層進むことになる。そこへ宦官が絡みだすと、事態が末期的となる。それが、『三国志』発端の黄巾の乱につながっていくわけだ。

 それらの反省も踏まえて後漢を継承した魏では、初代の曹丕から、郷挙里選に換えて九品官人法なる官僚登用制度を実施した。

 この制度の主眼点は、地方からの推薦を太守(知事)などに任せず、中央派遣の中正官(人材登用の専門官)を置いたことにある。つまり、地方豪族の力を削いで、馴(な)れ合いが及ばぬようにしたのだ。

 もう少し踏み込めば、後漢の官僚たちが、いかに魏に忠誠を示すかを見極めるための制度と断じても、決して過言ではない。

 司馬炎が生まれたのは河内(かだい)郡の温(おん)県で、そこは司馬氏の本貫(本籍地)である。父は司馬昭で、母は王元姫と記録にある。時は青龍4年(236年)で、奇しくも九品官人法を提唱した陳羣(ちんぐん)が卒した年であった。

 もっとも、制度は完全に確立している頃であり、司馬炎もその制度で、河内郡から出てきている。

 「寛恵(かんけい)にして仁厚く、沈深(ちんしん)にして度量あり(寛容で他人を愛する心に満ちあふれ、度量も考えも深い人物だ)」

 彼を中正官が評した言葉で、周囲には並ぶ者がなかったとされている。だが、腫れ物に触るようで、聞いている方が照れてしまう。まるで、どこかの国の独裁的な将軍様を讃える言葉のようだ。

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「「司馬大将軍の御曹司、一杯いかがかな?」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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