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「俗物を、白眼視しているだけだ」

【235】第五十章 司馬炎2

2013年8月6日(火)

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【234】第五十章 司馬炎1から読む)

 司馬氏に反抗する王凌や令孤愚(251年)、李豊や夏侯玄(254年)、毋丘倹(かんきゅう・けん)と文欽(255年)らの反乱は、司馬炎が前線に出る幕もなく片付いた。

 そして、諸葛誕(257年~258年)の乱になる。これは司馬炎にとって、残念なことであった。友人だった諸葛セイ(青/見)が、父に付いて敵方に廻ったからだ。

 彼は人質として呉へ赴き、代わりに父親への援軍を呉から貰い受けた。だが、それは結局は魏に鎮圧されている。ここから諸葛セイ(青/見)は、呉の部将となってしまうのだ。

 一方、阮籍(げんせき)らの酒盛りは、さすがに役所ではできなくなって、竹林へと移動した。それは、彼らのような存在を、嫌う向きも増えてきたからだ。その最右翼が、鍾会(しょうかい)であった。

 「中華が三国に分かれ争っている最中、せっかくの仕官を袖にし、酒ばかり喰らって御託を並べている連中など、国家の邪魔者、いや、敵にも等しい輩(やから)だ!」

 彼の怒りにも一理はある。きっと一番癪(しゃく)に障(さわ)るのは、阮籍らが社会的地位の向上を目指す者らを、小馬鹿にするような言動を繰り返すことだろう。

 それは清談の中核をなす、道家思想によるものだ。『無為自然』を標榜するのが、老子や荘子の考えだ。古代から中国は、儒教を国家の基準に据えた。自らの分を弁(わきま)えて勤勉に働くのが、良しとされたわけだ。だが、それでは社会の歯車の一つに過ぎない。

 道家思想は、いわば人間性を回復するための哲学なのである。だが、それは対立概念のようであってそうではない。

 現在の我々の社会でも、月曜日から金曜日は勤勉に働き、土曜日と日曜日は不断の束縛から解き放たれて遊ぶ。これは、儒教と道家思想の共存にも等しい。

 この当時も、きっと同じだったろう。ただ、皇帝の曹髦(そうぼう)までもが、司馬昭氏に反抗して弑虐(しいぎゃく)されるような世において、鍾会は世捨て人の如き酒飲みを嫌ったのだ。

 「世の蛆虫(うじむし)どもめ」

 彼は、阮籍に議論を挑みに行った。

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「「俗物を、白眼視しているだけだ」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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