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愛はコメディである

アンドロイド/サイボーグ考(17)~リラダン『未来のエヴァ』を読む(12)

2013年9月17日(火)

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『未来のエヴァ』の賭け

 すでに考察してきたように、『ロボット』や『『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のアンドロイドたちは、人間と同じ身体をもっているとされている。性的な交わりが可能であるほどなのである。しかし『未来のエヴァ』のアンドロイドはむしろロボットであり、人間の身体との同一性は主張しない。その身体が金属でできていることをむしろ誇らしげに強調するのである。エヴァはあくまでも機械人形にすぎない。

 しかしこの機械人形は優れた知性をそなえているとされている。そしてエディソンは、この機械人形はその優れた知性によって男性を魅惑するだろうし、男たちは堕落した女たちと異なる次元の愛を、機械人形とのあいだで結ぶことができると主張するのである。

 当然のことであるがエワルドは、その企てにはあまり気乗りしない。そのような機械人間とともに暮らしていても、何も楽しいことはないだろうとしか思えないからである。何といっても、相手は機械なのだ。ときおりごまかされたとしても、機械を相手にお芝居するような生活は退屈だろうと思うのだ。エワルドは、そんな「絶え間なくコメディを演じているようなこと」はできないと、エディソンの申し出を断ろうとするのである。

 そこでエディソンが雄弁をふるう。人間の愛というものは、相手にたいする幻想で初めて可能になるものである。社会というものは、人間たちがたがいに他者にたいして「コメディ」を演じることで初めて可能になるものである。というのも、人間は他者の心を覗くことはできないからである。ぼくたちは他者が心のある人間だと考えてつきあっている。

 しかしデカルトが喝破したように、相手は心のない機械かもしれないのである。それでもぼくたちは他者を愛することができる。それは相手に心があるという幻想のうちに生きているからである。エワルドを説得するためにエディソンが雄弁な演説を語ったのが、第五巻第二章「日の下に新しきものなし」である。この章は、人間の愛についての哲学的な考察へと進んでゆくことになる。


******

「日の下に新しきものなし」

 エディソンはこの「絶え間なくコメディを演じて」という言葉を聞いて、アンドロイドの傍らのテーブルに、光輝くナイフを置いた。このナイフがあれば、彼が創造したアンドロイドを解剖することができるのである。それから顔をあげて、こう語った。

 「コメディですって、あなた。しかしあなたは、この作品のモデルとなろうとしている生きた女性を相手にコメディを演じておられたのではなかったのですか。あなたが語ってくださったところによりますと、あなたはお相手を傷つけたくないので、ご自分がほんとうに考えておられることを隠しておられた。それを永久に語らないようにしておられたということだったのではありませんか。それはコメディを演じていたということではないのですか。

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「愛はコメディである」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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