日本のウイスキーの原点を探る

世界で評価される日本ウイスキーの原点「竹鶴ノート」に迫る

日本のウイスキーの父、竹鶴政孝に学ぶ

文:広瀬敬代/ 写真:山出高士 09.04.2014

単身スコットランドに渡り、万年筆とノートだけで、ウイスキーづくりの技術を習得したと賞賛された竹鶴政孝氏。竹鶴氏がスコットランド留学時に記したノート、通称「竹鶴ノート」は、今もウイスキーづくりに携わる人々にとって大切な指南書だといわれる。ノートは長い間所在不明だったが、竹鶴氏が最初に所属していた大阪の老舗洋酒製造会社「摂津酒造」の上司である岩井喜一郎氏の関係者が保存していたことが分かり、ニッカウヰスキーに寄贈された。今回は、その内容に迫っていく。

竹鶴ノートに10年前に出合い、現代語訳を手がけているのが、1998年にハイランド・ディスティラーズ社より「世界のウイスキーライター5人」の一人として選ばれた、ウイスキー評論家の土屋守氏だ。土屋氏は「このノートには竹鶴氏の人柄も、当時のスコットランドの様子も、そして現代に通用するビジネス成功へのヒントまでもが詰まっている」と話す。そんな魅力あふれる竹鶴ノートについて、土屋氏にお話をうかがった。

ウイスキー評論家 土屋守氏

聞き手:竹鶴ノートに出合ったときの印象はいかがでしたか?

土屋氏:10年前(2004年)、ニッカウヰスキー創業70周年のときに初めて拝見しましたが、『これは本当に竹鶴氏が書いた文字なのか?』と思いました。とても達筆で、しかも女性的な緻密さがあります。スケッチも見事。柔道で鍛えた体で、85歳で亡くなるまで毎日ウイスキーを飲み続けて人生を謳歌した竹鶴氏のイメージとはだいぶ違い、驚きました。

聞き手:確かにとても細かく、美しい文字で書かれていますね。特にどのようなところが印象に残っていますか?

土屋氏:現代のように情報化社会の中に生きていたら、こうしてノートに記していくことも無理ではないと思いますが、竹鶴氏がスコットランドに留学したのは1918年から1920年。「竹鶴ノート」は1920年、弱冠26歳の時、キャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸溜所で、実際に修業・実習をしたわずか5ヶ月あまりの時間でウイスキーについて事細かに書いているんですね。今の自分に照らし合わせて考えると、絶対にこんなに緻密には書けません。当時の人間の教養のすごさに打たれました。

達筆な字と緻密な図解で記された「竹鶴ノート」

聞き手:10年間、このノートを研究している土屋さんがノートを通じて読み取れることは?

土屋氏:まずいえることは、竹鶴ノートは日本のウイスキーの原点だということです。このノートがなかったら、もしかすると、ウイスキーが日本に存在していなかったかもしれない。ノートには、100年前の当時のスコッチのモルトウイスキーのつくり方が微に入り細に入り、書かれているわけです。これ以上、モルトウイスキーについて書いた本は他にはないと思います。竹鶴氏がこのノートを記したおかげで、日本のウイスキーは、本格的につくることができたんです。

聞き手:竹鶴氏は、偉大なことを成し遂げたんですね。

土屋氏:そうです。100年たった今も、ウイスキーづくりの本質的なことは変わらない。このノートには、当時の職人の待遇や経営についても記されています。この部分は竹鶴氏の人柄が出ていて、とても面白いんですよ。

聞き手:それはどのような部分ですか?

土屋氏:当時は、英国を中心にヨーロッパで労働争議が多く起きた時代。そして、竹鶴氏はリタさんと結婚して当初は周囲に反対され、逃げるように蒸溜所のある街、キャンベルタウンに来ていたんです。竹鶴氏は寝る間も惜しんで一心不乱に勉強をし、その横でリタさんが読書をしながら見守っていたらしいのです。そういう穏やかで平安な日々の中で感じたのは、家族団らんの大切さ。スコットランドでは、日曜日の蒸溜は禁止されていました。日曜日は、午前中は教会に行き、その後は家族でピクニックに行くなど家族で過ごすのが普通でした。竹鶴氏は、ウイスキーのつくり方については冷静に淡々と書いているのに、社員の待遇については、労働問題も踏まえて、家族団らんの大切さを熱く記しているんです。

聞き手:写真からも、家族団らんについてうかがい知れるのですか?

土屋氏:街の背後の丘に登って撮影した写真があるのですが、家族でピクニックに行っているという情景がその写真からうかがい知れます。そこはキャンベルタウンの街の人々の散歩コースで、現在でも変わらず、同じアングルで写真が撮れるんです。ノートにはひとことも書かれていないですが、そこからは竹鶴氏とリタさんふたりの新婚生活も垣間見られます。

聞き手:労働問題について書いていたことは、余市でニッカウヰスキーを創業したときに生かされているのでしょうか?

土屋氏:竹鶴氏は、余市では社員と一緒に宴会をするのが好きだったようです。社員のためにスキーのジャンプ台まで作ったりするなど、社員、職人と過ごす時間を大切にしていたそうです。竹鶴氏は、留学時代はお酒をほとんど飲まなかったのですが、余市ではお酒をはじめ、囲碁や狩猟、釣り、スキー、そしてカラオケなど趣味が多彩で、人生を謳歌したんです。

聞き手:スコットランドで見聞きしたことが、その後の竹鶴氏のライフスタイルになっているのですね。

土屋氏:きっとスコットランドの蒸溜所で実習をしていたときに、工場長や職人の生活ぶりを見て「人生の豊かさってこういうことなんだ」と身をもって体験したのでしょう。また、リタさんに教えられたことも、たくさんあるのだと思います。

聞き手:スコットランド留学時代に、すべて学べるものは学ぼうと思っていたのですね。

土屋氏:竹鶴氏の英語力についてもそれはいえます。当時の日本の教育では、英語が話せるようになるものではないですよね。留学準備期間があるとしても、その間に学べる英語力はたかが知れています。

スーパードライ家飲み酒とも日記