今月のビッグイシュー

「ななつ星」というスターをつくった職人たち

九州をよみがえらせた豪華列車、その裏で活躍した仕事師たちの物語

文:須田泰成 11.06.2014

JR九州による本格クルーズトレイン「ななつ星in九州」が話題だ。九州の魅力を世界に発信し、沿線に活気を与え、人をつなぐという特別な乗り物に仕上がっている。誕生を支えた職人の仕事に迫る。

2013年の秋、JR九州が日本初のクルーズトレイン「ななつ星in九州」を公開した時、多くの人がその美しさに息を飲んだ。

渋い光沢に包まれた漆色の車体。随所に施された黄金色の装飾。その組み合わせが、これまでの列車にはない高級感を醸している。

機関車のフロントグリルやエンブレムなどのパーツに目を向けると、その一つひとつが一級の芸術品のように仕上げられているのが分かる。正面の上部には、7個の星マークが存在感を放つ。当然、内部も隅々に至るまで贅(ぜい)が尽くされている。

走行中のななつ星正面(写真:竹本仁)
ななつ星ダイニング車両の内部

本プロジェクトを企画し決断したJR九州の唐池恒二会長(プロジェクト開始当時は社長)は、「ハード面では、(ヨーロッパの)オリエントエキスプレスを超えたと思う」とコメントした。

ななつ星とは「希望の星」

クルーズトレインが提供するのは、車内で極上の時間を楽しみながら、観光地に立ち寄り、土地ごとに最高のおもてなしを体験するという「旅のかたち」だ。わかりやすく言えば、豪華客船の陸上版である。

ななつ星の旅行プランの内容を見てみよう。例えば1泊2日コースは福岡、佐賀、長崎、熊本、大分を巡る。3泊4日コースは福岡、大分、宮崎、鹿児島、熊本を巡る。

どちらのコースも、食、風景、温泉、文化体験などに最高のセレクトがなされている。料金は一人で参加する場合、最安で36万円、最高ランクでは130万円。定員はたったの30名。少数の乗客に極上のサービスを提供しようという心意気が読み取れる。

九州をひた走るななつ星(写真:竹本仁)

そんな「ななつ星」の「なな(七)」は、三つ星、五つ星など、ホテルやレストランを評価する用語ではなく、九州が「七つ」の県から成り立っていることに由来する。九州の一つひとつの県を、光り輝く「星」だと見立てた「ななつ星」は、実に九州愛にあふれた名前なのだ。

JR九州が掲げたななつ星のコンセプトは、「九州の魅力を世界に発信する」こと。国内のみならず、海外の観光客もターゲットに据えている。九州の未来を背負う伝道師の役割を、自ら買って出た格好だ。

しかし現在の日本はよくも悪くも東京が中心で、何をするにも東京でことを始めるのが圧倒的に有利なのが実態である。日本の全人口約1億2000万人のうち、東京都市圏の人口は約3400万から3700万と言われており、3分の1近くを占める。政治・経済・メディア・文化などあらゆるものが東京に集中する一方、地方は経済の低迷と少子高齢化、過疎化などが進んでいる。

都市に集中し、地方はすたれる。二極化の現象は、現代の必然なのかもしれない。実際、九州も大都市圏を除くと、疲弊という言葉がふさわしいほどに過疎化が進んでいる地域もある。

ななつ星in九州は、そんな九州の閉塞感を打ち破る希望の星としてつくられた。

ななつ星の車体(写真:竹本仁)

鉄道デザインのカリスマが目をつけた職人集団

ななつ星in九州の鉄道デザインを手がけたのは、長年鉄道のデザインに関わり、権威ある国際鉄道デザインコンペであるブルネル賞に何度も輝いたカリスマ・水戸岡鋭治である。

水戸岡は、25年前からJR九州の車両デザインを手がけており、旋風を巻き起こしてきた革命児だ。

例えば、2004年に完成した九州新幹線800系電車「つばめ」は、車両のあちこちに温かみのある木材を適用しているほか、西陣織をあしらった座席、熊本産のい草でつくられた縄のれんがかかった洗面室、金ぱくが貼られた壁など、乗客を飽きさせない仕掛けが話題となった。

2011年に運行開始した「A列車で行こう」は、鹿児島本線の熊本駅-三角駅間を走る臨時特急。南蛮渡来の文化が伝来した天草地方を走ることから、ヨーロッパをイメージした大人の旅を満喫できる車両が人気となっている。

2011年に運行開始した「A列車で行こう」。鹿児島本線の熊本駅-三角駅間を走る臨時特急である(写真:鎚絵)

ほかにも水戸岡は、JR博多駅のコンコースに子どもの遊び場を設け、JR大分駅の構内におもちゃの電車を走らせるなど、型破りな発想で駅を「人が通過する場所」から「人が集まる場所」へと変えてきた。人を楽しませる水戸岡デザインに惹かれて九州にやってくる鉄道ファンや観光客は少なくない。

しかし、そんなベテラン水戸岡をしても、「ななつ星」の製造は、「これまでの新幹線や特急の10倍難しかった」と、のちに言わしめるほど難しいものだった。それほどに「九州の魅力を世界に発信する」というコンセプトは重く、スターをつくるのは並大抵ではなかったのだ。

世界で評判となるには、当然、「世界でも前例のない列車」をつくらねばならない。しかも基本コンセプトは豪華なクルーズトレインである。目や舌の肥えた客層を満足させるには、究極のクオリティーが必要だ。

つまり、列車は圧倒的に美しく、心地よくなければならない。そうでなければ、九州の素晴らしさを感じてもらえない。しかもJR九州は、JR東日本や西日本に比べると、規模が小さい。予算も決して潤沢とは言えない。

さて、どうするか。

水戸岡鋭治は、一人の男をパートナーに指名した。その男の名は、大野浩介。鉄の街・北九州に本社を置く、鎚絵(つちえ)という会社の東京営業所長である。この会社はインテリアやエクステリアなど、様々な分野・領域におけるアートデザインと製作を手がけている。

水戸岡が大野に声をかけた理由は、この鎚絵が「相談されたものは何でもつくってしまう」と言われるほどの職人集団だったからだ。

「何でもつくる」鎚絵との出会い

大野と水戸岡が出会ったのは、2008年、北九州で行われたあるパーティーだった。有名人の水戸岡を見つけた大野が、まず挨拶をした。

「はじめまして。鎚絵の大野と申します。北九州で金物屋をやっております」

会場が混み合っていたこともあり、水戸岡はそれほど大野に注意を払わなかった。

「金物屋? どんなものつくるの?」

何となく発した水戸岡の言葉。しかし、それに対する大野の返答が、水戸岡の心に火をつけた。

「言われたものは何でもつくります」

すぐさま水戸岡が言葉を打ち返した。

「何でもつくれるわけがないだろう!」

今度は大野が打ち返す。

「いえ、何でもつくります」

「つくれないよ」

「つくります」

「つくれないよ」

「つくります」

言葉のラリーがしばらく続いた後で、大野が言った。

「カバンにポートフォリオがあるので、取ってきますね」

そこで、大野は水戸岡にポートフォリオを見せた。確かにあらゆるものをつくっていた。

それから数週間後、水戸岡の事務所から大野に電話があった。

仕事の依頼である。和歌山電鐵・貴志川線の貴志駅に、装飾としてネコ耳をつけるというものだ。

貴志川線は長く営業不振が続いており、この貴志駅は2006年から無人駅だった。しかし2007年に同駅の売店「小山商店」の飼い猫であるタマを駅長にしたことで話題を呼んだ。そこに目をつけたのが水戸岡だった。ネコ耳の装飾は水戸岡の発案である。

駅舎の屋根は、「桧皮葺(ひわだぶ)き」と呼ばれる伝統的な形式である。そこで大野がネコ耳の素材として選んだのは3mmの銅板。桧皮葺きに負けない素材が必要だと感じたからだった。

和歌山電鐵・貴志川線の終点である貴志駅の駅舎(写真:竹本仁)
貴志駅の屋根における「ネコ耳」の取り付け作業風景(写真:竹本仁)

ネコ耳の取り付け作業は、気温が40度近くにもなる真夏に行われた。太陽光により、ネコ耳は素手では持てないほどに熱くなった。それでも大野が現場の職人と取り付け作業を進めていると、電車が来る時間でもないのに、一人の老人が作業を見物しているのが見えた。

「作業の見物だなんて、物好きなジイさんだな、熱中症になっても知らないぞ」と思っていたら、それが、水戸岡鋭治だった。

「こんな暑いのに、しかも和歌山まで」

大野は、この人になら一生ついていけると感じた。

なお、水戸岡は貴志川線のリニューアル電車「いちご電車」「おもちゃ電車」のデザインも手がけている。この電車と駅舎が子どもからの人気を博し、旅人が集い始めた貴志川線は廃線の危機を免れた。

その後大野は、水戸岡鋭治デザインの鉄道や駅舎などを数多く手がけるようになり、やがて全幅の信頼を得るに至った。

鎚絵の大野(左)と藤波耕司代表(写真:筆者)

大野は言う。

「実際は、ウチが何屋さんか聞かれると困るんです。ウチのボス(鎚絵代表である藤波耕司)には、ものづくりは何をやっても一緒って言われてきましたから。金物屋と言いながら、木でも石でもガラスでも何でも扱います。今まで言われて一番うれしかったのは『実現屋』と呼ばれたときですかね」