インタビュー 情熱と挑戦の先に

【栗城史多】“ニート登山家”が行き着いた「冒険の共有」

挑戦の原点を探る 栗城史多氏(登山家)の場合 第2回

文:十代目 萬屋五兵衛 / 写真:菅野 勝男 12.04.2014

8000m級という過酷な山を単独・無酸素で制覇し続けている栗城史多氏。栗城氏の冒険心の原点に迫るシリーズの第2回は、海外初登頂から「冒険の共有」に至るまでの軌跡を追う。

前回からの続き

栗城は登山の魅力を知ったがゆえに、次のステージを見始めた。そのステージの風景は「1人」だった。それまで、常に行動を共にしていた先輩と共にではなく。

経験を通して得た登山に対する自信。同時に、不可能と感じるものに挑戦し、かなえた時の快感を知った。

「単独」を選ぶ衝動を抑えきれない。これが登山家の扉なのかもしれない。

(文中敬称略)

独り立ち:“不可能”は、自分の心が勝手につくっている

栗城は言う。

「僕は先輩と山に行くと、いつも先輩の後ろを歩くことになるわけです。だから自分の足で登ったんではなくて、付いていっただけに感じていました。先輩が強いのは分かっていたので、なかなか前に出ることはできなかった。でも、やっぱり自分の足で挑戦してみたいと思ったし、もう大学3年生なので、その先、海外にはあまり行けなくなるかもしれないとも思っていました。

先輩たちは代々、海外の山に行っていたので、自分も海外の山に行きたくなっていました。北海道の山々を登っていくうちに、やっぱり海外に行きたいなと思って、そのスイッチが入った時に、あんまり人が行かないような山に行きたい。先輩たちとの伝統とは違うところに……。

その時、山の雑誌をパラパラと眺めていたら、マッキンリーというのが目に付きました。ヒマラヤだと入山料がすごく高いんです。でも、マッキンリーって値段を調べてみたら1万5000円で安い。『行ける!』って」

*マッキンリー山:アラスカにある北米大陸の最高峰。標高は6194m。極寒でも知られ、登山者にとっては標高の高さだけでなく高緯度に位置するために高山病の危険性が極めて高いと言われている。

直観的にマッキンリーに行くことを決め、また、一人で登ることを決めた。マッキンリーと言えば、日本を代表する登山家であり冒険家の植村直己が1984年の43歳の誕生日に世界初の冬期単独登頂を果たした氷河の山で、クレバスだらけの危険な山だ。そして、その植村直己は登頂の翌日、消息不明になり現在に至るまで発見されていない。

「やはりみんな反対しました。部も責任が取れないから、最後は先輩からも止められ、破門同然で……。僕を育ててくれた師匠ですし非常に悩みましたけど、最後は土下座をして『行かせてください』と言って行きました。

冬ではなく6月でしたが、マッキンリーは何が危険かというと、クレバスという氷河の裂け目がいっぱいあって、それに落ちてしまう可能性があるんです。グループだとザイルといってロープでつながっているので、1人落ちても仲間が引き上げてくれる。ですが、単独行というのは落ちたらおしまいなのです。だから、山岳界の先輩も親戚も誰からも猛反対を食らっていました。

たくさんの人から呼びつけられて怒られました。父までも『お前は、自分の息子を死んでしまうような場所へ行かせるのかっ!』って言われていました。でも父は、賛成も反対もしませんでした。そして、誰も僕が登頂に成功するなんて思っていなかったんです。なぜなら、初めての海外旅行がこのマッキンリー登山でしたから。

出発当日も緊張と不安で『本当にこれでいいのか?』という自問自答を繰り返し、嘔吐(おうと)をしているくらいでした。そんな状態の時に、空港から飛び立つ直前でしたが、父が電話をくれました。『おまえを信じているからな』って、たった一言を言ってくれたんです。僕は初めて父の言葉で泣きました」

それまで、北海道の山しか知らない。最高峰の旭岳が標高2291m。その3倍近い山を目指すことになる。富士山の倍近い高さだ。初めての海外旅行先が北米大陸の最高峰、しかも単独登頂を目指すというのであれば、誰だって反対する。

登頂成功、そして下山

栗城は著書の中で数々の試練を記している。日差し、高度障害、クレバス、ホワイトアウト、強風、孤独、睡魔、極寒の中では気を緩めたら死が待っている。登れば登るほど、自然の力の脅威を感じずにはいられない。栗城は「標高約5000mより先は人間の領域ではない“神の領域”。どんなに体力や精神力があっても、山の神に選ばれなければ登ることはできない」と言う。

「ベースキャンプに着くと『マッキンリーの神様、僕はあなたに会いに来ました。これから僕にたくさんの試練が待っているでしょうが、僕はそれを受け入れます。一つだけお願いがあるのですが、僕の帰りを待っていてくれる人たちがいます。その人たちのためにも無事に帰れるようにお守りください。あとは、何でも受け入れます。』と祈りました。

途中で何度も諦めそうになりましたが、父の言葉を思い出し、自分を信じ、『こんなとき、主将ならどう乗り越えるか?』を考えていました。たった一人で強風の中、22歳の誕生日を祝いました。五感をフル稼働させながら自然と対話し、次の行動を判断します。私利私欲は考えない。感じるままに。ピンと張った心のアンテナがこの自然と向き合い『誰かのために登るのではない、自分のために登るのだ』と自分に言い聞かせ、『必ず、必ず登る。あの雲の上の頂上へ。そこに僕の夢がある。そして、越えるべき自分がいるんだ』とつぶやきました。

頂上が見えてきた時に、山に対する不安や孤独はもう僕の心の中にはなく、それらはあるとすれば自分の心の中にあるのだと感じていました。登り始めて16日後、山頂に立った瞬間、今までの苦しみも悲しみもすべてが喜びに変わっていました。やはり“不可能”は、自分の心が勝手につくっているだけだということを強く感じた瞬間でした」

*高度障害:高山病とも言われ、だいたい2400m以上の高山に登り酸欠状態に陥った場合や低酸素状態に置かれたときに発生する症候群。主な症状は、頭痛、吐き気、眠気(めまい)。他に、手足のむくみ、睡眠障害、運動失調、低圧と消化器官の機能低下からくる放屁などがある。重症の場合は高地脳浮腫や高地肺水腫を起こし、死に至ることもある。
*ホワイトアウト:雪や雲、霧などによって視界が白一色となり、方向・高度・地形の起伏が識別不能となる現象。ホワイトアウトの状態に陥ると雪原と雲が一続きに見えたり、太陽がどこにあるのか判別できなくなったり、天地の識別が困難になったりするなど、錯覚を起こしてしまうことがある。

地上6000m、登山家・栗城史多が誕生した瞬間だった。マッキンリー単独・無酸素登頂を成功させると、翌年の2005年には南米最高峰、ヨーロッパ最高峰、アフリカ最高峰の6000m級の山々に登頂。またその翌年の2006年、翌々年の2007年にはオセアニアや南極大陸という、わずか4年余りで6大大陸の最高峰の登頂に成功している。

加えて2007年には、世界第6位の8000m級の山であるチョ・オユー(8201m)の登頂を成功に収めるだけでなく、この山の7700m地点からスキーで滑降までしている。

たった数年で、世界の山々を知る登山家の仲間入りを果たしている栗城だが、彼がそんな中でも、自分にとって最も影響を与えてくれた山に、このマッキンリーを挙げている。

「僕にとって、今までの中で一番大きな山がマッキンリーなんです。もちろんエベレストとか8000m級の山々で、成功や失敗など、いろいろな経験をさせてもらっているんですけど。

たくさんの人の反対意見とぶつかりながら、同時に信じてくれる人がいるという、葛藤する気持ちの中で山を登ったことはないなと思っています。あの経験があったから今の自分がいるんです。でも実は、登頂前はマッキンリーへの挑戦で山登りは辞めようかと考えていたんです。大学3年生ですから、もう就職活動をしようと。みんなの反対も大変だし、もう辞めようと思っていたんです。そんな時、出発前にある山の先輩が『次の山のために生きて帰ってこい』という言葉を言ってくれていたんです。それがすごく印象に残っていて……。

つまり、山は一つ登って終了じゃない。『頂上に着いても、ここが最後のゴールなんだと決めると危険なんだ』ということを教えてくれたんです。僕も、マッキンリー登頂の当初はこれが最後なんだと思う気持ちが強くて、すべてを懸けて登っていました。

でも同時に下山していくときに、『これでおしまいなんだ……』と思ったら肉体の力が一気に落ちていくのを感じました。山での事故も7割が下山中です。下山が難しいということもありますが、精神的な問題なのだと思います。先輩もたぶんそれが分かっていて、その言葉を僕に贈ってくれたんだと気づきました。

それを理解した時、僕も『ここで終わりじゃないんだ!生きて帰ろう。だからいつかもっとでかい山に行くんだ!』と思って、次の希望を持って下山していたんです」

マッキンリー単独登頂成功という自分だけの勲章を胸に帰国をすると、状況が変わっていた。反対をしてきた全ての景色が“称賛”という景色に変わっていたのだ。

部も退部せず、大学も退学せずに済むようになっていた。友人たちが英雄として迎えてくれた。そして、地元北海道のスポーツ新聞など、いろいろなメディアが取材にやってきた。

「出発前にメディアの方にマッキンリー挑戦を話したら、やはりみんなが反対して……。みんなは『栗城は死ぬ』と思っていたらしいんです。でも生きて帰ってきたら逆に『すごい!』とみんなが盛り上がったんです。

『いつか海外にまた行けたらいいな』という思いは少なからず持っていましたけど、記者の皆さんに『次はどこに行くのか?』『次の山は?』と聞かれて。『いやあ……、でも次は南米ですかね……?』と苦し紛れに答えたら、次の日、スポーツ新聞に【次は南米最高峰アコンカグアに行く!】と、しかも【12月に!】と書いてあったんです」

有言実行という言葉がある。自身の行動を他人に宣言し、自分の尻をたたくことによって成功を収めるには最適な方法だ。逆に、人には目的を明かさず、『成功したら伝えよう』『失敗したら黙っておこう』という輩(やから)が多い世の中だが、こと登山家は挑戦を公言していかなければ成立しない。

しかし、公言することによって応援してくれる人が増えるのも事実である。

当初は反対をしていた人たちが、応援者に変わった。そして、応援者が増えることにより、次の一歩を必然的に踏み出すことができる。自身の成功が、応援者を生み出し、次の自分を見つけるきっかけになる。