フードブリッジ0141

知ればもっと美味しい!飛騨高山の地元スーパーが伝える食文化

文:秋元 しほん 03.19.2015

飛騨高山にある地元密着型スーパーが話題を呼んでいる。地元の買い物客に地元の品を売り続けるという方針を貫いたことが功を奏し、全国レベルで話題に。地元の食文化を発信する拠点となった。スーパーの奮闘ぶりと飛騨高山独特の食文化を紹介する。

生き残る道、それは飛騨高山の食文化を守ること

日常食のため派手さはないが、地元企業で作られた地元の商品がいつでもそろっている。そのため、近所の人々はファミリーストアさとうに足を運んでくれた。

しかし、大型スーパーや大手ドラッグストアの出店が相次ぐと、客足は徐々に遠のいていった。佐藤氏は積極的に商品開発を展開したり、全国規模の新商品を棚に並べたりするなど対応策を打った。だが、ファミリーストアさとうがこだわってきた昔ながらの商品は製造工程や設備の問題もあって、サイズや内容を柔軟に変更するのは難しい。そのため、価格面も含めて大型スーパーや大手ドラッグストアに対抗できるような商品に仕上げられなかった。

「地元産の商品を提供することにこだわってきたが、もしかしてそれはお客様のニーズではなくなったのかもしれない」。時代の流れを感じながら、佐藤氏は生き残る道を模索していた。

良いアイデアも出ないまま、地元密着型に疑問すら抱いていたある日、昔よく来てくれた常連客の顔を久しぶりに店舗で見かけた。「今日はうちへ来てくれたんだな」と、安心感とうれしさがこみ上げてくる。

数日後、今度は別の常連客が買い物をしている姿を発見した。そんなふうに以前の常連客を少しずつ見かける日が増えてきた。

買い物かごの中には、あげづけやこも豆腐など、いつもの飛騨高山の商品が入っていた。

「ファミリーストアさとうでは、地元の商品を中心に店舗を運営していました。客足が減少してからも、地元商品だけは棚から外さないようにしていましたが、本当にこれで良いのかと迷うこともありました。ところが、一時は大型店やドラッグストアに流れたお客様が店舗に戻ってきてくれた時、これで良かったんだと自信が持てました」と佐藤氏は語る。

店内の様子。先に挙げたこも豆腐など、地元の品が並ぶ

大手スーパーやドラッグストアで売られている安価で手軽な商品は消費者にとってありがたい。だが、地元の商品はやはり地元のスーパーで購入したい。このような気持ちが、地元の消費者には変わらずあったのだ。

飛騨高山の冬は長く雪深い。ご近所同士が助け合うのが当たり前の生活の中で、自然と地元に対する気持ちは強くなる。

地域密着型スーパーが品ぞろえや価格面で大手スーパーに勝つことはなかなか難しい。しかし、本当に地元の消費者が喜んでくれる商品は何かを考え、飛騨高山らしい売り場作りに集中したことで、ファミリーストアさとうには、再び買い物客が戻ってきた。

いくつかの企業からは、お土産品の商品開発と販売の打診を受けた。だが、お土産品向けに開発すると、見た目のデザインや商品の特徴を出すことにコストがかかり、どうしても高価な品になりがちだ。

「お土産品として売ることを意識して商品を開発すると、地元のお客様は手を出しにくくなる。これは地元のお客様が本当に欲しい商品ではない」と佐藤氏は判断し、お土産のような特別品ではなく、日常で消費できる品を地元価格で販売し続けるという道を選んだ。

佐藤氏は地元の人とともに飛騨高山の文化を守るという「地元目線」を決して忘れない。その結果、飛騨高山の独特な食文化が地元価格で買える地域密着型スーパーとして、競合他社との差異化も図れた。

「もともと、家の軒下で始めた小さな商店です。近所の人たちが行き交い、いつも賑やかな店でした。私たちは地元のスーパーマーケットとして、飛騨らしさにこだわりコミュニケーション重視の売り場を作ることが、地元で長く続けられる秘けつだと思っています」。佐藤氏はこのように語る。

「あげづけ」が連れてきた大ブレイク

地元重視で堅実に商売をしてきたファミリーストアさとうに、取引先の地元企業も驚く大きな出来事が起きた。2014年のことである。

きっかけは、菅原佳己氏による書籍『日本全国ご当地スーパー 隠れた絶品、見~つけた!』(講談社)。ここには飛騨高山の名産品、「あげづけ」が掲載されていた。

菅原氏は元・放送作家で、肩書きはスーパーマーケット評論家。小さい頃から近所のスーパーに出入りし、小学校5年生で「奥さん」と呼ばれるほどに堂々と商品をカゴに入れていく買い物スタイルを貫いていたという。いまでも地方を巡り、大好きなスーパーで「これは!」と思ったご当地商品を紹介している。

著作の中で紹介された「あげづけ」はテレビのゴールデン番組でも取り上げられ、ファミリーストアさとうの店舗には全国から問い合わせが殺到。たちまち売り切れとなった。

ファミリーストアさとうはネットショップを開設していたが、アクセス数増加によりサーバーはあっという間にダウン。経験したことのない高揚感と戸惑いが会社全体に広がっていった。

あげづけを作っている株式会社古川屋の3代目、古川泰輔氏は、突然の注文増に工場をフル回転させて対応した。

書籍やテレビで紹介されたとはいえ、あげづけが珍しいことにも気が付かなかったほど、地元では普通の食べ物だ。「なんでこんなに注目されるんだ」不思議な気持ちが大きかったが、地元の食べ物が全国の人から注目され、評価されると街が褒められているようで、誇らしい気持ちにもなった。

古川屋の歴史は古く、屋号は天保年間から続いているという。そして昭和50年に現在の古川屋を設立した。

あげづけは、販売当初からすべて手揚げで作られている古川屋の看板商品だ。温度の違う2種類の油で手揚げされ秘伝のタレで味付けする。作り方はいたってシンプルだが、家庭では決して出せない味に仕上がっている。ふっくらとした食感で軽くあぶるとたまり醤油の香ばしいにおいが食欲をそそる。

こちらは「あげづけの挟み焼」。ファミリーストアさとうによるオリジナルレシピである。半分に切ったあげづけに、細かく刻んだ飛騨高山名物の赤巻きかまぼことミョウガ、シイタケを詰めてオーブントースターで焼いた一品

飛騨高山であげづけを知らない人はいないほどの定番商品だ。だが古川屋では、特売などで定期的にお買い得商品としてキャンペーンを打つことで売り上げを底上げし、経営を維持していた。何とか売り上げを上げたいと思っていたが、人手も限られていたので毎日注文分を製造していくのに精一杯。新しい活動に使える資金を確保するのが大きな課題だった。

ところが、メディアで紹介された日を境に生産が追い付かないほどの注文に追われ、毎日は一変した。売り上げも上がったが、それ以上に「大きな収穫があった」と古川氏は語る。商品の改良ができたことだ。

ロングセラー商品の改良には勇気がいる。ちょっとした味の変化でも長年親しまれている分、地元の人は敏感に反応する。

あげづけは大きなクレームもなく、この味で安定的に売れているため、古川氏も商品を吟味することより守ることに力を注いでいた。

しかし、地元のお客様とは違う地域のお客様は手厳しかった。古川屋のネットで購入したお客様から「味が薄い」「タレがまばらでちゃんとかかってない」「まだ届かない」など多くのクレームが入った。生産が追い付かない状態に、地元の人たちからも「売れたから味が変わった」といままで聞いたことのない、苦情を耳にするようになった。

「味には自信がありました。地元の人たちからのクレームもなかったのでこのままで良いと、甘えがあったと思います」

これを商品改良の良い機会ととらえ、古川氏はあげづけの品質向上に動き出した。味はそのままに、生産の効率化や工程の見直しなどを実施していった。

「私たちはラッキーだったのかもしれない。けれど、飛騨高山でこの味を作り続けてきたからこそ、多くの方に食べてもらえる機会に恵まれたと思っています。これからも品質向上に取り組み、地元の人の自慢になるような商品を作っていきます」と、意気込みを語ってくれた。いまも忙しさは続いているが、郷土を思う前向きな気持ちが伝わってくる。

このようにファミリーストアさとうが貫いた地元密着型の姿勢は、地元の老舗企業にも大きな影響を与えたのだ。

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