• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

売り上げ10%以上ダウンでも貫いた制度改革

第3回 上司も部下も、同じ条件で自分を追い込んだ

2012年10月24日(水)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 今回は、P&Gが取り組んできた流通取引制度の改革などについて、具体的にどう進めてきたのか、お話をしたいと思います。P&Gジャパンの現在までの成長は、この流通改革なしにはなし遂げられなかったですし、改革前の当社は本当に厳しい状況に置かれた会社だったからです。

桐山一憲(きりやま・はつのり)
米P&Gアジア統括責任者。1962年11月生まれ。85年同志社大学商学部卒業後、プロクター・アンド・ギャンブル・ファー・イースト・インク(現P&Gジャパン)入社。90年、支店長ナショナルチェーン統括、92年東京支店長。カナダ勤務を経て2000年に韓国で営業本部長就任。2002年、ノースイースト・アジア営業統括本部長、2006年グローバルスキンケアのバイスプレジデント(在シンガポール)などを経て、2007年プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン社長。2012年7月から現職。
(写真:福島正造、以下同)

 そもそも僕が入社したころのP&Gは、業績も低迷していて、決して将来が明るく見通せるような状態ではありませんでした。採用面接の時の面接官の方がこう言ったんです。「当社は、これから最後の勝負を懸けたい」と。事実、当時は本当にビジネスがうまくいっておらず、厳しい状況でした。でも、そういったことを正直に面接官が言ってくださり、気迫のようなものが伝わってきました。僕はP&Gの人たちのそんなところに、いわば惚れてしまったのです。

 僕が就職した80年代後半の頃というのは学生がとにかく売り手市場だった時代ですから、ほかの選択肢はあった。でもあえてそういうところではないところを選びたかったのです。自分が身を置くところは、これから何かを変革をしていく会社の方がいいと思ったのです。正直、P&Gという名前くらいは若干聞いたことがあったけれど、それほど日本では存在感もありませんでしたしね。

 だからこそ少し懸けてみるかと、その方がむしろ自分の力が試せるのではないかと思ったわけです。面接官の顔をじっと見ながら、この人たちと一緒に前を向いて仕事をしたい、と思えたのです。そしてP&Gに入社することを決めました。

「この人たちと一緒に前を向いて仕事をしたい」

 実は、個人的な事情も後押しになりました。当時のP&Gは大阪に本社がありましたが、これから就職活動かという時期に父が亡くなりました。当時、僕は、長男だから母のそばに、関西圏にいてやらないといけないのかな、と勝手に思ってしまったのです。そんな時に、関西に拠点を置くP&Gと出合った。

 P&Gでの社会人生活は大阪からスタートしました。あまり周りのことを見る余裕がなく、最初の数年は突っ走って、とにかく一生懸命でした。先ほども言いましたように当時のP&Gはまだ無名に近かったので、営業活動をしていると、つらい思いをすることも多かった。

コメント8

「P&G桐山一憲の「世界で克つ仕事術」」のバックナンバー

一覧

「売り上げ10%以上ダウンでも貫いた制度改革」の著者

広野 彩子

広野 彩子(ひろの・あやこ)

日本経済新聞社NAR編集部次長

朝日新聞記者を経て日経ビジネス記者、2013年から日経ビジネス副編集長。日経ビジネスオンラインでコラムの執筆・編集を担当。入山章栄氏の著作『ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学』を担当。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

もう中山素平のような人物が銀行の頭取という形で現れることはないだろう。

佐藤 康博 みずほフィナンシャルグループ社長