河野透氏は、「タコの赤ちゃん」のCMを作り、「ウォークマン」の名付け親でもあり、ソニーのブランドイメージを発信する広告宣伝を2006年にソニーを離れるまで担ってきた人だ。ということは、ソニーのカリスマ経営者、特にデザインや広告宣伝に強いこだわりを持つ故・大賀典雄氏とずっと接し、めちゃくちゃ叱られてきた人でもある。
カリスマに仕えるのはやりがいもあるが、大変なストレスも抱え込む。それを乗り越えた経験から、今ビジネスパーソンに役立つストレス解消策を聞けないものか。まずは前編に引き続き、彼の「叱られ話」からどうぞ。
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大賀さんが仕切っていた当時のソニーのデザイン会議では、新製品のデザイン評価用のモックだけではなく、広告の仮原稿、ビジュアルまで一緒に並べて評価していたというお話しでしたよね。
河野:そうです。今度出す新製品の性能はこれこれで、名前はこれ、デザインはこう、だから広告ではこういうやり方をします、と説明して、後ろにモックアップと広告ビジュアルが貼ってある。
そこで、スタッフの言い分が何か「まとも」で「ありきたり」だったりすると、大賀さんの大激怒が始まるわけです。もうその場でびりりと八つ裂きです。
企画書を。

NPO法人森林セラピーソサエティ事務局長、多摩美術大学造形表現学部デザイン科非常勤講師。1968年、多摩美術大学デザイン科卒、ソニー入社。1996~2002年コーポレートADセンター長、1996~2002年ソニーマーケティング常務・広告宣伝本部長。2002~2006年ソニーPCL副社長を勤めた後、ソニーを離れる。現在は、日本の豊かな森林資源を活用し、心身の健康に効果を生み出す、森林セラピーを通して地域の活性化に取り組む。(写真:陶山 勉)
河野:じゃなくて、広告のポスター案を。ずかずかスタッフの後ろまで突進して。ポスターを破いて、モックアップをつかみ上げて、床に叩き付けて壊しちゃう。
ひえー。本気でスパナを投げつけてくる本田宗一郎さん(「本田宗一郎」がここにいる!ホンダOBが駆けつけるある映画)に負けず劣らずですね。それがどれくらいの頻度であるんですか。
河野:デザイン会議は月に1回でした。
当時、河野さんは製品を作る側にいたんですか。
河野:じゃなくて宣伝です。でも、当時のソニーは大賀さんの言葉通り、デザインも広告も、製品開発と一体でやっていましたから、同じように叱られ、傷つき、「コンチクショー!次は絶対、大賀のヤツを唸らせてやるぞ」と思うわけです。
製品開発と宣伝が一体と言いますが、どのくらいのところから関わるんですか。
河野:商品企画のスペックを固めるところからでしたね。デザインを決める前です。
「いいぞ、河野、よく言った!」
じゃあ、本当に広告宣伝の担当者が、開発の最上流のところから噛むわけですか。
河野:最初から一緒でした。だから僕らが手にするのは、商品企画書といって文字と数字だけです。「その商品が何の目的のために生まれてきたか」ということが書いてあるわけ。開発者の意図が明文化されている。それを「こういうことがやりたいんだね」と、ひもといていくわけですね。
それだけじゃなくて、時には開発者のほうから「こういう製品を考えているんだけど、どうやったらお客さんに一番驚いてもらえるか、どうにも分からないんだ」と、相談されることもありましたよ。「広告だったらこの商品のどこを訴えたいと思う?」と。
いきなり話がみみっちくなりますが、部門間の対立ってなかったんですか。
河野:なかったわけもないだろうけど、僕らは製造チームと結構タッグを組んでいたね。会議では、広告をくさす振りをしながら商品や製造に当てこすりをする役員もいるわけですよ。プレゼンしている僕らじゃなくて作っているやつに言っているんです。それをこっちが頑強に抵抗したり、論破したりすると、もう後ろからわーっ、いいぞーっと拍手してくれたりする。
「おお、河野、よく言った」みたいな感じに(笑)。
河野:そういう会議でしたから、ある意味では面白い場ですよね。単なる儀式じゃないから。
そういう雰囲気だから、大賀さんのストレスにも耐えられた?
おっちょこちょいのワイフがこの間自動車のドアを閉める時に間違って指をはさんだのですが、私にはそれがとてもおかしくて、ちょっと外に出てわからないように大笑いしてきたことがあります。 しかしそうしたことはバレバレのようで、「あなたはやさしそうだけど、ほんとは人の心がわからない冷血動物云々・・・」と半時間あまり。 いや実際あなたの痛みは残念ながら共有できないし、共有したくもない。親切にも、やさしくもしてあげるけれど、それが僕の限界と思って聞いていました。「これを言っちゃうと『そこまで言うのか』・・・」には非常に共感します。(2013/04/02)