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外為法改正が次の黒船に。80年代生保の仁義なき戦い

生保各社が配当競争に陥ったワケ

2013年6月6日(木)

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 日本の為替相場は、戦後長らく、1ドル=360円の固定相場が続いていました。この固定相場の誕生は、1949年のGHQ経済顧問だったドッジ(デトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジ)の名が付いた「ドッジ・ライン」という緊縮財政措置と一対のものでした。

 これが変動相場制へと移行するのは、1973年。それまでの約30年間、恐らく日本の企業は円高に苦しめられていたはずです。輸出国である日本にとって円高は大変なハンディになります。

 苦しかったけれど戦争に負けて占領軍にそう言われてしまったから仕方がない。厳しい円高の状況に加えて、財政の支援も得られない中で、とことん頑張り抜いた日本の産業には、知らず知らずのうちに競争力がついてきます。

 1980年代に、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるようになったのは、この円高環境の下、底力を身につけていたからでした。

 1980年に外為法が改正され、外国為替取引が自由化されます。生命保険会社は、このときに転機を迎えました。

規制社会がそのまま自由競争に巻き込まれたら、生き残れない

 外資系企業が日本へ進出してくるのは時間の問題です。生命保険業界も例外ではありません。しかし、大蔵省(現・財務省)が決めた同じ保険を同じ値段で売ってきた保険会社が、急に完全な自由競争に巻き込まれても生き残れるはずがありません。討ち死にするのが関の山です。

 そこで大蔵省は策を講じます。少しずつ、暫定的に保険会社に自由競争に慣れさせようと考えたのでした。

 手始めが、配当の自由化でした。

 戦後、生命保険会社はみな、相互会社になりました。顧客、つまり保険加入者を社員とし、会社の構成員とする形態です。株式会社ではないので、いわゆる株主はいません。

 利益は、株主の代わりに社員、つまり保険契約者に配当されます。この相互会社というのは、保険会社だけに認められている特殊な組織形態です。

 少し説明が長くなりましたが、要するに大蔵省は、保険の内容や保険料に差を付けてはならないけれど、預かった保険料の運用で儲かった保険会社は、少し多めに配当をしてもいいよ、まずはそこから自由化しますよと言ったのです。

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「外為法改正が次の黒船に。80年代生保の仁義なき戦い」の著者

出口 治明

出口 治明(でぐち・はるあき)

ライフネット生命保険会長兼CEO

1948年生まれ。京都大学を卒業後、日本生命保険に入社。同社を退職後、2006年にネットライフ企画設立、代表取締役就任。2008年にライフネット生命保険に社名変更。2013年6月より現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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