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2013年12月24日(火)

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 元ソニー社長の安藤氏と、元ソニーCIO長谷島氏の対談から、トップとCIOのパートナーシップのあり方を考える。第2回は米国での新会社立ち上げを振り返り、「小さな経営チーム」のメリットについて語る。

安藤 国威
ソニー生命保険名誉会長
東京大学経済学部卒業後、1969年ソニー入社。 1990年、ソニー・エンジニアリング・アンド・マニュファクチャリング・オブ・アメリカ(SEMA)社長に就任。1996年、インフォメーションテクノロジー(IT)カンパニ-プレジデント就任。2000年6月 、ソニー取締役代表執行役社長に就任。2007年よりソニー生命保険取締役会長。 2011年より現職。(写真:村田和聡)

長谷島:安藤さんと最初に一緒に仕事をしたのは米サンディエゴ。ソニー・エンジニアリング&マニュファクチャリング・オブ・アメリカ(SEMA)の立ち上げの時でした。僕は安藤さんより3年ほど早い、1986年からサンディエゴで働いていました。

安藤:1989年にそれまでのソニー・アメリカを2つに分けて、R&D(研究開発)や製造事業部を担当する部門と、マーケティングセールス部門を別会社にしたんです。元々米国では、マーケティングセールスが先行し、1970年代から工場を次々と建てていました。そこで会社を分けて、生産システムも整備しようと考えたのです。

長谷島:そこで安藤さんが「製造プラットフォーム会社」という新しいコンセプトを打ち出したのですよね。

安藤:それまでは、テレビだとか、半導体だとか、業務用映像機器だとか、カセットテープだとか、製品ごとに事業部が工場を建てていました。テレビなんか、ブラウン管と組み立てが別工場だったんです。

 そのやり方を変えようと。工場を各事業で別々に作るのではなく、SEMAが工場からインフラから何から何まで、全部提供しますよ。事業部から人だけ送ってくれればモノを作れる。そういうプラットフォームにしようと考えたわけです。利益を出している部門もマイナスの部門もありますが、全体としてバランスを取っていくという事業戦略です。

新しいビジネスモデルをITで形にする

 それまで日本の製造業はアナログ的なモノ作りで世界を席巻していましたが、90年代に入って日米逆転が起こり、いわゆるITの時代に入っていきました。プラットフォームという構想はIT的なんです。事業部ごとに縦に仕切られていた製品や部品を、横に組み合わせることでトータルコストの削減を図るわけですから。

 SEMAがソニーグループの中でも一番進んでいたものですから、東京の本社にもなかなか分かってもらえず、時には大げんかしながらやりました。テレビ事業部がサンディエゴに新しい工場を建てようとしていたのを、地鎮祭前日にストップしてもらったり。日本にいると本社の言う通りに従わざるを得ないけれど、米国で思ったのは、それが必ずしも現地ではベストではないということ。なかなか理解されませんでしたが、強引に推進して、僕が約5年で帰った後にもいろいろな人がこの考え方を受け継いでくれた。

 様々な製品を包含した1つの会社としての最適を狙うと。そういうコンセプトが、次第にきっちり理解されるようになり、成果はすぐには出なかったのですが、徐々に好転して製造で大きな利益を出すようになりました。

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