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2014年1月14日(火)

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元ソニー社長の安藤氏と、元ソニーCIO長谷島氏の対談から、トップとCIOのパートナーシップのあり方を考える。第3回は「VAIO」を中核としたIT事業立ち上げの秘話。

安藤:僕らが米国でSEMA (ソニー・エンジニアリング&マニュファクチャリング・オブ・アメリカ)をやっていた頃、日本はいわゆる「失われた10年」に入っていました。ソニーにも苦しい時期がありましたが、93年にはゲームを出し、1996年からIT事業に取り組みました。僕がITカンパニーのプレジデントを務めました。ちょっと長くなりますが、この事業の話をしましょう。

安藤 国威
ソニー生命保険名誉会長
東京大学経済学部卒業後、1969年ソニー入社。 1990年、ソニー・エンジニアリング・アンド・マニュファクチャリング・オブ・アメリカ(SEMA)社長に就任。1996年、インフォメーションテクノロジー(IT)カンパニ-プレジデント就任。2000年6月 、ソニー取締役代表執行役社長に就任。2007年よりソニー生命保険取締役会長。 2011年より現職。(写真:村田和聡)

 94年にカンパニー制がスタートし、米国から帰任して僕はコンシューマーAVカンパニーの総合企画部門長を務めていたんですが、1年たったら、今度は出井(元ソニー社長)さんが社長になられた。

 出井さんは、もともと社長になる前から大賀(元ソニー社長)さんに「これからソニーはやっぱりITと通信をベースに成長すべきだ」ということをずーっと言ってたんです。インテル創業者のアンディ・グローブ氏などの知己も得ていた。

死屍累々のITビジネス、薄氷の門出

 でもそれまでソニーでは「NEWS」というワークステーションをはじめ、ワープロなどのOA機器をたくさん手がけていたんですよ。でも、ビジネスとして成功しなかったわけ。

 出井さんが社長になって1年経ったころにカンパニーの組み替えが起こって、僕がそのITカンパニーのプレジデントになっちゃった。ソニーでは誰がやっても成功しないITを、何で僕がやるんだと思いましたね。

 出井さんは「今度は本格的にやる。プレジデントはお前がやれ」と。そのときに大賀さんは「まあ、安藤も正念場かな」と言ったそうですよ。

 大賀さんは大経営者だったんですけれども、自分なりのフィロソフィーがあって、ソニーで儲かるのはAVと、厚木でやっていた放送事業者向けの事業だけで、それ以外で利益を出すのは難しいということをずっと言っていました。

 実を言うと、ITカンパニーが1996年4月にできてから1年3カ月、翌年の1997年の7月までは、PC本体の商品はゼロだった。ディスプレイとかデジカメ等の周辺機器はやっていましたが、本来はPCを売らなきゃならない。それが日本でようやく出てきたんですね。

 そのときに、いろいろなコンセプトを語ったわけですけれども、世の中の反応は「あれほど期待したソニーのVAIOってこんなものか」と。一挙に失望を買ったんですよ。あれほどソニーが期待されていたのに、結局違っているのは、色だけちょっと変わっているな、みたいな。

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