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歯の神経が潰れるほど食いしばった日々

日本電鍍工業社長 伊藤麻美さん(第2回)

2014年1月30日(木)

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伊藤 麻美(いとう・まみ)
1967年、東京都生まれ。上智大学外国語学部比較文化学科卒業。ラジオDJを経て、98年に宝石鑑定士の資格取得のために渡米。99年に帰国して、2000年に父の創業した日本電鍍工業の代表取締役社長に就任。現在は関連会社の「日本アクセサリー」「ジユリコ」の代表取締役も務める。(写真:鈴木 愛子、以下同)

危機に瀕する会社の社長に就任した伊藤さんが、真っ先に取り組んだのは「社員をリストラしないこと」でした。人件費削減が王道の中、逆説的なアプローチですよね。

伊藤:めっき会社のような業態の経営手法から外れていたことだったんでしょうね。「人を減らさずに、再建ができると思うのか」と、よく言われました。でも、社員を不幸にして利益を出そうとしても、会社は再生しないんじゃないか、と私は考えていました。

 もし100万円利益が増えたら、1万円ずつ100人の社員に配りたい。そういう風に考えてやっていったら、売り上げは変化しないけれど、社員の意識には変化が現れた。どういうことかといいますと、みんなが「当事者」として、会社にかかわるようになってきたんです。

伊藤さんは、経営学とか社会的起業とかを学ばれたことはあったんですか。

伊藤:大学では経営・経済を学びましたが、MBAなどは持っているはずもなく。

ご自身の判断の原点は、どんなところなのでしょうか。

伊藤:私は幼稚園からインターナショナルスクールに通ったんですね。生徒の国籍は60カ国にも上るところで、毎日がいろいろなカルチャーショックの連続でした。

 たとえば、インドのお友達のバースデーパーティーによばれた時のことです。そこで出されたランチは、ご飯の上にヨーグルトがかかり、さらにその上にパパドム(パリパリとしたインド風のクラッカー)を割ったものが載っていました。一緒にいたアメリカ人やイギリス人、フィリピン人のお友達とは一瞬「?」と目が合いましたが、みんなしっかりいただきました(笑)。

 今思えば、文化や習慣の違いを目の当たりにするチャンスがあったわけです。また、先輩後輩の序列がなく、「自分の意見を持っている」ということが、いちばん大事なこととして尊重されます。そんな環境で、「常に自分で考え、決断してかまわない、いや、そうすべきだ」というクセが身に付いていたかもしれません。

だとしたら、サバサバした外資系企業なんかがお似合いな気もしますが。

伊藤:典型的な日本の会社、それもモノづくりという、ひと時代前の中小企業で、「よくやってるよねえ」と、私を知る人からは言われます。自分でも、どうしてかなあ、と時々不思議になるのですが(笑)。

 でも、私が両親のひとり娘だった、ということはあるかもしれませんね。とりわけ母の影響は大きかったように思えます。

あこがれの母が心の底に残してくれたもの

伊藤:父は会社を創立して、それはそれで大変だったのですが、その父を支えていたのが母でした。父だけでなく、家に来る人においしいものを食べさせたいからと、家の冷蔵庫には、いつも食材がいっぱい。おもてなし上手の母は、みんなにとってステキなお母さんで、その姿は私にはあこがれでした。

 その母は43歳でガンを患い、50歳で亡くなるんです。私が20歳の時でした。その3年後に父が病気で急死します。20代の前半で、人生で遭遇する最大の悲しみを立て続けに経験することになりました。

ひとり娘だから、その悲しみもたったひとりで乗り越えなければならない。

伊藤:大好きな母が病気になったことは、本当に胸がつぶれることでしたが、余命1年半と言われた母は、そこからがんばって7年も生きてくれました。その姿を見て、「人間は諦めなければ、不可能と思えることでも乗り越えていけるんだ」、と思うようになりました。そのような経験が、私の経営の底に横たわっているかもしれません。

2000年に就任した会社は、過去10年で10億円の負債を負っていました。社員の方への経営情報の公開、本業であるめっきへのリソースの集中と、技術力を武器に新しい需要先へ営業を行うことが、再建策だと先にうかがいましたが…。

伊藤:はい。

金融機関の方は、それを理解して待ってくれる状況だったのでしょうか。

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「歯の神経が潰れるほど食いしばった日々」の著者

清野 由美

清野 由美(きよの・ゆみ)

ジャーナリスト

1960年生まれ。82年東京女子大学卒業後、草思社編集部勤務、英国留学を経て、トレンド情報誌創刊に参加。「世界を股にかけた地を這う取材」の経験を積み、91年にフリーランスに転じる。2017年、慶應義塾大学SDM研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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