• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「サザエさん」に憧れた女子、禅寺を経て女将に

高台寺和久傳 桑村祐子氏(その1)

2014年6月23日(月)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 日本が誇る「料亭文化」。そこには、伝統にもとづく「おもてなし」の心と、斬新なイノベーションのふたつが共存しています。その中でも、京都・高台寺の高級料亭を中心に、多彩な業態を展開中の「和久傳」は、独自のブランディングで群を抜いた存在です。

 料亭とは「女将」を中心に、女性が作りあげるフレームの中で、男性が存分に腕をふるう場所でもあります。一見、通常の企業社会とは、かけ離れた世界に思えますが、女性力の活用をはじめ、次につながる経営や働き方の例がたくさん。それらのヒントを、凛とした女将の話から見つけてみませんか。

桑村 祐子(くわむら・ゆうこ)「高台寺和久傳」女将/代表取締役
1964年京都府生まれ。87年、ノートルダム女子大学英語英文学科卒業。大徳寺の塔頭で住み込み修業を経た後、89年に家業の「高台寺和久傳」に入る。2号店の「室町和久傳」の立ち上げを担当し、軌道に乗せる。2003年、創業者の母、桑村綾が設立した物販の別会社「紫野和久傳」の取締役に就任。07年、母の後を継いで、「高台寺和久傳」代表取締役に就任。(写真:樋口とし、以下同)

―― 北政所ゆかりの高台寺や、隠れ家のような店が並ぶ石塀小路、そして八坂神社があり、神社の石段を下ると祇園が広がっている。京都の中にあっても、とりわけ京都らしい華やぎが香る一画に、料亭「高台寺和久傳」はあります。それにしても、こちらの建物はすばらしいですね。

桑村:もとは昭和27年(1952年)に、数寄屋建築の名工、中村外二棟梁の手で建てられた日本家屋です。以前は日本舞踊の尾上流の家元のお住まいでした。ご縁があって1982年にお譲りいただくことができ、私の母が料亭を開いたのが、「高台寺和久傳」の始まりです。

―― 京都の歴史的な旧市街地でも、街並みの観光地化、商業化が年々進んでいますが、この建物は門から、玄関から、庭から、隅々にいたるまで、日本建築が持つ簡素で清潔な美しさが行き届いています。

桑村:そう言っていただけると、うれしいです。

―― 由緒ある日本家屋、料亭、和服の女将……と来たら、それこそ「伝統」とか「しきたり」とかに続けたいところですが、今回、桑村さんからうかがいたいのは、今の時代の「ブランディング」。しょっぱなからカタカナ言葉ですみません。

桑村:いえいえ。

―― ブランディングの次には、「イノベーション」や「プロジェクトマネージメント」をうかがっていきたくて、どんどん「はんなり」から遠ざかってしまうのですが。

桑村:いえ、おっしゃっていただいたように「日本ならではの美しさ」と同時に、お商売も成り立たせねばなりませんので、私どもにとっても大事なお話だと思っています。

―― ありがとうございます。というのは、「和久傳」のブランドが、近年ではほかにない独自の発展を続けているからです。

 82年に「高台寺和久傳」を開かれた後、「室町和久傳」、「京都和久傳」、「紫野和久傳」とそれぞれの立地によって業態を変えた料理店を出店する一方で、「おもたせ」中心の物販で東京にも進出。現在は京都、東京、名古屋の一等地に10数店を出店しています。

 高級料亭のイメージとクオリティを保ちながら、多店舗展開を成功させている「和久傳」ブランドの、その存在感の源に迫りたいと思いまして。

桑村:私たちは、そんな大層なことをしている思いはないので、うまくお話しできるか心配ですが。

―― いえいえ……ということで、さっそくうかがっていきますが、「和久傳」は京都で代々続く老舗、というイメージがありましたが、市内でのスタートは82年だったんですね。

もともとは母が始めた“大勝負”

桑村:もとは同じ京都府の丹後の地で明治3年(1870年)に創業した料理旅館だったんです。創業者の名前が「湧屋傳右衛門」で、「湧」に平和の「和」と、傳右衛門の妻だった「久」の名前をあてて、「和久傳」という屋号になりました。

 明治から昭和の中ごろまでの丹後は、名産の丹後ちりめんで非常に栄えて、商社の支店もたくさんあったそうです。そんな土地の料亭に母が嫁いで、女将として切り盛りをするようになったのですが、そのころからちりめん産業は斜陽化が進んで、商社の支店も丹後からどんどん撤退するようになっていったといいます。

―― 化学繊維が急激に普及して、昔ながらの絹織物の産業が衰退した時代ですね。

桑村:旅館の経営もジリ貧に陥って、やがて赤字が続くようになりました。このままでは従業員も家族も一緒につぶれてしまう、ということで、母が一念発起して、京都市内に料亭を出そうということになったんです。

―― 桑村さんのお母さま、桑村綾さん(「紫野和久傳」代表取締役)ですね。同じ京都府とはいえ丹後からということは、いわばよそ者として、ど真ん中に打って出た、ということですよね。

桑村:それだけ旅館の経営が切羽詰まっていたんですね。銀行から大きな借金をして、京都という激戦地に出るしか、のれんを守る手がなかった。当時の女性として、本当に覚悟がいることだったと思います。

―― 勝負の地として選ばれたのは、周囲に京料理の名店がひしめくエリアです。

コメント0

「才職兼美」のバックナンバー

一覧

「「サザエさん」に憧れた女子、禅寺を経て女将に」の著者

清野 由美

清野 由美(きよの・ゆみ)

ジャーナリスト

1960年生まれ。82年東京女子大学卒業後、草思社編集部勤務、英国留学を経て、トレンド情報誌創刊に参加。「世界を股にかけた地を這う取材」の経験を積み、91年にフリーランスに転じる。2017年、慶應義塾大学SDM研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

もう中山素平のような人物が銀行の頭取という形で現れることはないだろう。

佐藤 康博 みずほフィナンシャルグループ社長