• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

第2回 なぜアフリカに米づくりを伝授するのか

File3 アフリカの稲作指導 坪井達史

2014年7月8日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

前回から読む)

 アフリカの風土に適していて生産性が高いことから、アフリカ諸国で注目されている「ネリカ」。普及に努め、「ミスターネリカ」と呼ばれる坪井さんが、この米と出会ったのはいまから20年以上も前のことだ。

 JICAの専門家としてアジアで稲作の技術支援を行っていた坪井さんは、1992年に西アフリカのコートジボワールに赴任した。当時、西アフリカに日本人の稲作専門家は1人もおらず、稲作普及の必要性を感じてのことだった。

アフリカでネリカの栽培指導を続ける「ミスターネリカ」こと坪井達史さん。坪井さんは『池上彰のアフリカビジネス入門』にも登場する。(以下写真:的野弘路)

「当時は稲作といえば水稲でした。援助に入る国はどこも、アフリカに水田をつくって稲作技術を教えていた。でも、灌漑設備が必要なうえ、苗床で苗を育ててから田植えと工程も多いため、アジアのように稲作文化が浸透していないアフリカで、一から教えるのは難しいことでした」

 しかし、陸稲は水稲と比べると格段に収量が落ちる。そこに、革命をもたらしたのが西アフリカ・シエラレオネ出身の研究者、モンティ・ジョーンズ博士の研究だ。

「コートジボワールに赴任して、同国の西アフリカ稲開発協会(現・アフリカ稲センター)に挨拶に行ったところ、そこで研究していたジョーンズ博士が開発は無理だろうと言われていたアフリカ種のイネとアジア種のイネの交配に成功したと、3粒の種籾を見せてくれたのです。そのとき、これは運命だと思いました」

まずはウガンダから

 それから3年後、坪井さんは品種として固定したネリカの種籾をジョーンズ博士から分けてもらって、試験栽培を始めた。フィリピンの国際稲研究所で学んだ経験のある坪井さんは陸稲についても知識を持っていて、ネリカが実用化すればアフリカの稲作が変わると確信したという。

 1995年には日本作物学会の会長などを歴任した東京大学の教授(当時)の石井龍一氏の注目するところとなり、日本がネリカの支援を提唱して、西アフリカ諸国で品種の選定が始まった。そして2003年、JICAの農村開発部長(当時)の西牧隆壯氏が支援を決断して、同年の第3回アフリカ開発会議(TICAD III)で日本がネリカ普及支援を表明、坪井さんが参加するにいたった。

「2004年にウガンダに正式に赴任し、さっそくネリカの普及プログラムをスタートしました。なぜウガンダかというと、前年から東・南部アフリカ諸国を中心に調査をした結果、ネリカの栽培に最も適した国だったからです。まずウガンダでネリカの生産技術を広め、そこからアフリカ全土に普及させていこうと思いました」

『ナショナル ジオグラフィック日本版』本誌2014年6月号では2050年、90億人時代に向けた特集「沸騰するアフリカの農業開発」を掲載しています。Webでの紹介記事はこちら。フォトギャラリーはこちらです。ぜひあわせてご覧ください。

コメント2

「インタビュー 日本の食の未来」のバックナンバー

一覧

「第2回 なぜアフリカに米づくりを伝授するのか」の著者

中川 明紀

中川 明紀(なかがわ・あき)

ライター

講談社で書籍、隔月誌、週刊誌の編集に携わったのち、2013年よりライターとして活動をスタート。インタビュー記事を中心に、雑誌や電子出版物で活躍している。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

子会社とどう向き合うかで、その企業のガバナンスを判断できる。

牛島 信 弁護士