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「継承とは“思いの擦り合わせ”」

File3 山本山 山本嘉一郎社長

2014年8月6日(水)

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 世界の中でも日本は、長生きする企業、いわゆる老舗が多い国だ。サステナブルという言葉が登場する随分と前から、「継続を前提とした経営」を行ってきた企業が、数多く存在してきた。時代の先を読み、半歩なり一歩先の手を打ってきたからこそ、存続してきたのである。そこにどんな知恵があるのか、何を大事にし、これからどこに進もうとしているのか。本稿では、老舗と呼ばれる企業の経営トップに話を聞いていく。

 第3回は、元禄三年(1690年)、江戸・日本橋で創業した山本山の代表取締役社長を務める山本嘉一郎氏。本社が日本橋再開発の工事の真っ最中ということで、京橋にある仮社屋にうかがった。十代目を引き継ぎ十一代目に渡していく--明るい語り口の中に、老舗が当たり前のように行ってきた知恵が散りばめられていた。

100年単位で改革を重ねてきた

川島:山本山と言えば「お茶と海苔」と言っていいほど、強いイメージが定着しています。

山本山の代表取締役社長、山本嘉一郎氏。元禄三年(1690年)、江戸・日本橋で創業した初代から数え、十代目。(写真:鈴木愛子、以下同)

山本:うちはもともと、お茶の商いから始まりました。初代である山本嘉兵衛が、京都・宇治から江戸に出てきて、1690年、お茶や茶器、和紙などを扱う「鍵屋」という屋号で創業しました。

川島:300年を優に越える歴史を持っている、いわゆる老舗ですね。

山本:その頃のお茶は、緑茶ではなく茶色でした。赤黒くて味も薄く、そう美味しくはなかったようです。1738年、茶匠である永谷宗七郎氏、今の永谷園につながっていく人物ですが、彼が上煎茶の精製に成功しました。それを、うちの四代目が逸品と見抜き、日本橋の店で売り出したのです。

川島:そうだったのですか。日本の老舗同士のつながりも、聞いていて面白いですね。

山本:それからおおよそ100年経った1835年、六代目の山本嘉兵衛が、玉露を生み出しました。煎茶とは異なるまろやかな風味が人気を集め、今にいたっているというわけです。

川島:玉露を発明したのが、そもそも山本山ということですね。これも初めて知りました。不勉強ですみません(笑)。ちょうど100年ごとに、新しいものが生まれたようですが、次の100年目も何か……。

山本:ありました(笑)。1947年、九代目が海苔の販売を始めました。お茶は4月から10月が仕入れの時期、海苔は11月から3月が仕入れの時期なので、お茶と海苔を扱うことによって、一年中、物を売ることができるようにしました。振り返ってみれば、100年単位で何かを改革してきたのが、うちの歴史と言っていいのかもしれません。

川島:となると、次の100年目も、何か新しいことが起きそうですね。

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「「継承とは“思いの擦り合わせ”」」の著者

川島 蓉子

川島 蓉子(かわしま・ようこ)

ifs未来研究所所長

ファッションという視点から、さまざまな分野の企業のブランド作りなどのプロジェクトにかかわる。日経MJ、ブレーン、読売新聞などで連載を持つ。2013年から現職。多摩美術大学非常勤講師。Gマーク審査委員。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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