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“オタク”が社会性を持つのは大変です

漫画家 ヤマザキマリさん 第3回

2014年8月19日(火)

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 日本の高校を途中で辞めて、10代でフィレンツェの美術学院へ留学。そこで待っていたのは、生活力のない「詩人」の彼との耐乏生活。11年後に息子が生まれたこと機に、詩人と別れて、母子で帰国を決意――。前回まで、ヤマザキマリさんのジェットコースター人生をうかがってきました。でも、この後にまた、何度も波乱が訪れる。

ヤマザキマリ
1967年東京都生まれ。1984年、高校2年の時にイタリアへ渡り、フィレンツェのイタリア国立美術学院で油絵と美術史を学ぶ。96年に帰国し、大学のイタリア語講師、札幌テレビ放送の温泉レポーター、日伊協会の事務局及び美術展のキュレーターなどを務める。2002年、イタリア人の比較文学者、ベッピ・キウッパーニとの結婚を機に、エジプト・シリア・ポルトガル・アメリカなどに暮らす。04年、婚家のユニークな家族を描いた『モーレツ! イタリア家族』から漫画執筆を本格化。10年『テルマエ・ロマエ』が「マンガ大賞2010」「第14回手塚治虫文化賞短編賞」を受賞。単行本は累計900万部以上の売り上げを記録。同作を原作にした邦画「テルマエ・ロマエ」「テルマエ・ロマエII」も大ヒット。その他の作品に「ルミとマヤとその周辺」「スティーブ・ジョブズ」「プリニウス」(とり・みき氏と合作)等、エッセイでは「テルマエ戦記」「望遠ニッポン見聞録」「男性論」等がある。(写真:鈴木愛子、以下同)

ヤマザキ:乳飲み子を抱えて日本に戻ってきた時、最初に私がやった仕事は事務職だったんですよ。

―― 初めから漫画家だったわけではなかった。

ヤマザキ:完全に事務職。札幌の日伊協会という民間の交流団体のオフィスで、電話を取り次いだり、会報を作ったり、語学学校を作ったり、イベントを企画したりしていました。

 日本でシングルマザーとして働きながら子育てをする、と決めた時、自分に社会性のある仕事をする能力あるかどうかが不安でした。長年、イタリアで画学生をやっていて、絵を描くだけでは食べていけないことは分かっていた。そこから、表現と実利を兼ねた漫画を描き始めるのですが、だからって、それだけで生活はできない。そんな不安や、自信のなさでナーバスになっている姿を子供に見せることが、子育てではいちばんダメだろうと思っていたので、とにかくいっぺん社会人的仕事っていうのもやってみようじゃないかと。

―― 漫画家というと、とかく世間から隔絶された場所で仕事をしている人、と思われがちです。

ヤマザキ:漫画家が世間から隔絶された職業と思われることは、まったく負担ではなかったのですが、それだけしかできない、と自分に限界を感じるのが嫌だったんです。社会に帰属した暮らしは苦手だけど、別にそれができないわけではない、という自覚を持ちたかった。息子の将来のためにも、「人間ってのは、やろうと思えば何でもやるのさ」という姿勢を示したかった。考えてみたら、人生で一番最初にやったバイトだって高校時代のチリ紙交換だったわけですから(笑)

―― ただ、ヤマザキさんのエネルギーは、事務だけでは収まらなかった。

ヤマザキ:やっぱり途中から我慢できなくなって(笑)、日伊協会の事務局だけでなく、大学でイタリア語やイタリア文化の講師として教鞭を執ったり、日本で開く海外の美術展のキュレーターとして働くようになったりして、漫画以外の仕事で、日本とヨーロッパを行き来することがどんどん増えていきました。

―― そして、そこで、新たな出会いが。

惚れられて 嫁いだ先が 大家族

ヤマザキ:10代の私にフィレンツェ留学を勧めてくれたイタリア人の「マルコじいさん」の一家とは、うちの母とも一緒に家族ぐるみの付き合いが続いていたのですが、ある時イタリアで、そこの孫息子と初対面をする機会があったんですよ。その人が今の夫、べッピーノです。

 べッピーノはマルコじいさんの娘の息子で、それまでイタリアに行った時は、別の街で大学に通っている彼の空き部屋を使わせてもらうことが多かった。その部屋というのが、古代ローマ帝国の地図や、歴代皇帝の彫像ブロマイドが飾ってあったりする、すっごい歴史オタクな部屋で、ローマ帝国好きの私もびびるほどだったんですが。

―― まさか、ヤマザキさんがその部屋の主と結婚するなんて……。

ヤマザキ:マルコじいさんはすでに亡くなっていたのですが、天国のマルコどころか、家族全員がのけぞりましたよね。私だって驚きましたよ。

 べッピーノとは、彼が部屋で何かの本を眺めていた時に初めて会ったのですが、振り向いた時のおもざしが、中世のイタリア絵画に描かれた貴族のようで、とても浮世離れした感じでした。その時に、ルネッサンス時代の歴史家、グィッチャルディーニの話題で意気投合したのですが、それがよほどうれしかったらしく、日本に帰国したら、分厚い手紙が次々と届くようになりました。

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「“オタク”が社会性を持つのは大変です」の著者

清野 由美

清野 由美(きよの・ゆみ)

ジャーナリスト

1960年生まれ。82年東京女子大学卒業後、草思社編集部勤務、英国留学を経て、トレンド情報誌創刊に参加。「世界を股にかけた地を這う取材」の経験を積み、91年にフリーランスに転じる。2017年、慶應義塾大学SDM研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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