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100年前の日本は中韓だけでなく世界を見ていた

第1次世界大戦から学ぶべきもの

2014年8月27日(水)

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今年2014年は、第1次世界大戦が始まった1914年から100年目に当たる。

学習院大学の井上寿一学長は、当時と今とには類似点があり、学ぶべきことが数多くあると説く。

類似点とはいったい何なのか。我々、現代の日本人は何を学ぶことができるのか。

(聞き手は森 永輔)

第1次世界大戦が行われた1914~1918年は日本では大正3~7年に当たります。「大正デモクラシー」という言葉は聞いたことがあります。このため、なんとなく明るい時代だった印象があります。しかし、それ以外にはなかなかイメージがわきません。現代とどんな点が類似していたのでしょう。

井上:第1次世界大戦前後の日本でも、国民の間に大きな格差があったことです。この社会的な格差の問題を政党内閣が十分に解決することができなかったことが、後の日中戦争と第2次世界大戦を引き寄せた、もしくは容認する道を拓きました。

格差ですか。具体的にはどんな状況だったのですか。

井上 寿一(いのうえ・としかず)氏
学習院大学学長。
専門は日本政治外交史。1965年生まれ。一橋大学社会学部、同大学院法学研究科博士課程単位修得後、学習院大学法学部教授などを経て現職。法学博士。
著書に『第一次世界大戦と日本』『吉田茂と昭和史』『政友会と民政党』など。(写真:加藤 康、以下すべて)

井上:例えば、こんな家族の事例がありました。老父は82歳、娘は47歳。この家では、孫と娘の夫が直前に相次いで亡くなりました。葬式代を工面することができず、娘の夫の腐臭が漂う遺体を放置していたというのです。しばらくして、なんとか葬式を出した後、今度は老父が、それまで遺体を包んでいた布団に病身を横たえた。

 夫婦と10人の子供が2組の布団にくるまって暮らしている家庭もありました。残飯をお粥にして食いつないでいたそうです。閑散とした家の中に妙に立派なちゃぶ台があるので尋ねると、この家の生活苦を見かねた警察官が、茶碗を床に置いて食べる姿を見かねて置いていったということでした。

 100年経った現在でも、同じようなことが起きています。例えば、老親の年金で暮らしていた家族で、この親が亡くなった。蓄えも生活力もない子供が、死亡届を出すことなく親の年金を受給して暮らし続けた、と報じられています。

 第1次世界大戦の後、格差を是正し貧しい人たちを救うための社会政策が必要との認識が高まりました。政党内閣はこの問題に確かに取り組みました。しかし、決して十分なものとは言えませんでした。

当時は普通選挙が実施される前なので、有権者の大半は地主や資本家でした。政党や衆議院議員はこうした層の代表です。貧しい農民や労働者には興味がなかったのでしょうね。

井上:おっしゃる通りです。

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「100年前の日本は中韓だけでなく世界を見ていた」の著者

森 永輔

森 永輔(もり・えいすけ)

日経ビジネス副編集長

早稲田大学を卒業し、日経BP社に入社。コンピュータ雑誌で記者を務める。2008年から米国に留学し安全保障を学ぶ。国際政策の修士。帰国後、日経ビジネス副編集長。外交と安全保障の分野をカバー。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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