(前回から読む)
―― タカラヅカの本拠地は関西。といっても大阪のど真ん中ではなく、兵庫県宝塚市という、おっとりとした住宅地にあるところが、ショービジネスの文脈から言うと、何ともユニークです。
小柳:阪急電車の「宝塚」駅から宝塚大劇場まで「花の道」と呼ばれる、木立と花に彩られた小道が通っています。そこから、宝塚大劇場と宝塚音楽学校を右手に見て、武庫川が流れる武庫川大橋を渡って、隣駅の「宝塚南口」にいたるまでのエリアが、タカラヅカのテーマパークみたいな雰囲気になっていますよね。ファンの方は、宝塚駅に降り立ち、花の道を通って劇場の門をくぐるだけで、すでにわくわくして楽しい、とおっしゃいます。

―― ファンや関係者は、宝塚大劇場の界隈を「ムラ」と呼びますが、そういう親密で、独特な空気が漂っています。宝塚音楽学校の生徒さんや歌劇団員が普通に歩いているし、喫茶店やブティックなどの店頭には、現役スターのサインが張ってあったりして。
小柳:タワーマンションとかも建っているんですけど、町全体がアトラクション的で、非現実な感じではありますよね。
―― 武庫川がゆったりと流れていて、後ろの山に向かって景色が開けている。駅前にある店も懐かしい昭和な感じ。意表をつくほどの、のどかさがあります。
小柳:私は東京育ちなんですが、すっかりこの阪急沿線のリズムに慣れました。いい所ですよ。
なぜタカラヅカだけが生き残ったのか

1976年、長野県に生まれ、4歳から10歳まで大阪、以降は東京で育つ。慶應義塾大学文学部3年の1998年に、宝塚歌劇団嘱託の演出助手に採用され、99年に同劇団に入団し制作部に配属。2002年、宝塚バウホール公演「SLAPSTICK」で演出家デビュー、11年、「めぐり会いは再び」で大劇場デビュー。15年は新年の幕開け公演「ルパン三世」の脚本・演出を担当する。(写真:樋口 とし、以下同)
―― 戦後の日本は宝塚歌劇団のほかに、大阪松竹歌劇団(OSK)、松竹歌劇団(SKD)など女性だけの歌劇団の興隆がありました。いずれも華やかなレビューが一世を風靡しましたが、テレビが普及してからは、規模を縮小したり、解散をしたり。その中でタカラヅカだけが発展を続けてきた、という不思議さがあります。
小柳:タカラヅカは、阪急が開発した宝塚新温泉の余興として始まったもので、家族がみんなで来て楽しめる場所、という設定でした。阪急電鉄の創設者で、宝塚歌劇団を作った小林一三は、家族向けの健全な娯楽ということにこだわり、芸能人ではなく、良家の女性による歌劇を考案したわけですが、その「健全な娯楽」という根本が今も歌劇団を支えているのだと思います。
―― 小林一三の作ったキャッチフレーズが、有名な「清く正しく美しく」ですね。
小柳:「清く正しく美しく」は、恐ろしいほど日本人の精神性にマッチしていると思います。
―― 言えそうで、なかなか言えないフレーズです。
小柳:大正時代に、100年後に通じる独自のビジョンを持っていた、というところが、神懸かっていると言いましょうか(笑)。ただ、彼はマーケティングの観点からだけでそれを言ったわけでなく、女性たちが集まって何かをなし得ることに対して、「それが美しいことである」と、本気で思っていたんだと思います。歌劇団を女性だけで構成しようという発想も、戦略的な何かというよりは、女性だけで演じるということ自体に、他にない美しさを見いだしていたからじゃないでしょうか。
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