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「フィロソフィーこそ挑戦の源」

File4 バカラパシフィック 小川 博社長

2014年9月11日(木)

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 世界の中でも日本は、長生きする企業、いわゆる老舗が多い国だ。サスティナブルという言葉が登場する随分と前から、「継続を前提とした経営」を行ってきた企業が、数多く存在してきた。時代の先を読み、半歩なり一歩先の手を打ってきたからこそ、存続してきたのである。そこにどんな知恵があるのか、何を大事にし、これからどこに進もうとしているのか。本稿では、老舗と呼ばれる企業の経営トップの話を聞いていく。

 第4回は、フランスのバカラを日本で展開している、バカラパシフィックの代表取締役社長を務める小川博さん。フランスを発祥の地とする老舗ブランドを、日本でどのように展開し、成功に導いてきたのか。世界で共通するものと、日本ならではの知恵や工夫をどのように混在させてきたのかなどについて語っていただいた。

バカラが最初に日本に入ったのは明治時代

川島:お会いして何度かお話をうかがうにつけ、バカラを日本で広め、確固とした地位を築いた立役者は小川さんと感じてきました。今日はそのあたりを、ばっちりうかがおうと思います。

小川:承知しました(笑)。

川島:まずは初歩的な質問です!日本にバカラが入ってきた経緯を教えていただけますか?

バカラパシフィック社長の小川博氏。1948年神奈川県生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。エッソ石油などを経て、83年バカラパシフィック設立に参加。97年、フランス政府より仏国家功労章シュバリエを受章。(写真:鈴木愛子、以下同)

小川:最初にバカラを扱ったのは、大阪で茶道具や古美術を商っていた春海藤次郎という人でした。春海氏は、1903年、つまり20世紀初頭に、時計商である友人、安田源三郎氏から、欧州土産としてバカラを贈られたのです。それがきっかけとなって、茶道具や懐石道具を、バカラに注文するようになったということです。

川島:バカラの存在を誰も知らない明治時代に、わざわざ注文して、フランスで作らせたということですね。凄い話です。

小川:そうなんです。伝統技術で作られた日本の陶器や漆器をフランスに送り、同じものをクリスタルで作らせたのです。春海氏は、バカラの技の凄さを理解していたし、バカラも日本の文化を理解していた。一連の作品は、今見ても古びるところがまったくなく、“春海好み”と呼ばれています。まさに、素晴らしい技とデザインなのです。これは、バカラの職人たちにとっても、勉強になったに違いありません。

川島:バカラの日本でのデビューは、とてもドラマチックですね。その歴史を鑑みると、日本における立派な老舗です。

小川:そんな経緯もあり、春海氏は、バカラの素晴らしさを日本で広めたいと思ったのでしょう。輸入・販売を手がけるようになったのです。

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「「フィロソフィーこそ挑戦の源」」の著者

川島 蓉子

川島 蓉子(かわしま・ようこ)

ifs未来研究所所長

ファッションという視点から、さまざまな分野の企業のブランド作りなどのプロジェクトにかかわる。日経MJ、ブレーン、読売新聞などで連載を持つ。2013年から現職。多摩美術大学非常勤講師。Gマーク審査委員。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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