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【佐々木正】「東京裁判を免れた。生き延びた恩に報いたい」

100歳になる“電子立国の父”が歩んだ壮絶人生

2015年1月8日(木)

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電子立国の父
佐々木正(ささき・ただし)
台湾で高校まで過ごし、京都大学に進学。シャープ元副社長。トランジスタ電卓を日本で初めて開発し、半導体や液晶、太陽電池などの技術開発を牽引した。アポロ宇宙船の半導体開発にも関わり、米研究者から「ロケットササキ」と親しまれる。ソフトバンク社長の孫正義氏を創業期に支援した恩人でもある。2011年から新共創産業技術支援機構(NPO法人)の理事長を務める。15年に名誉顧問に就任。1915年5月生まれ。(写真:菅野勝男、以下同)

 シャープ元副社長の佐々木正氏が1月31日、肺炎のため永眠されました。102歳でした。LSI(大規模集積回路)や液晶、そして太陽電池など世界の半導体産業の基礎を作り上げ、戦後日本の発展をけん引した技術者でした。ソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義氏や米アップル創業者の故スティーブ・ジョブズ氏が若かりし頃、佐々木氏を頼ったエピソードはあまりにも有名です。

 日経ビジネスは2014年11月と16年11月の2回、佐々木氏にインタビューをしています。15年に終戦70年を迎えるに当たって、日本の未来に向けた「遺言」を託してもらうため、そしてAI(人工知能)など技術の急速な進化が未来をどう変えるのかを予測してもらうためでした。

 兵庫県・塚口の施設で取材に応じてくれた佐々木氏は、小さな手帳を記者に見せてくださいました。思い浮かんだアイデアを書き留めるためのもので、片時も離さず持ち歩いているとのことでした。そのアイデアは、電子の技術を使って老化を食い止めようというものから、まるでテレパシーを実現するかのような発想まで、多岐にわたっていました。「ロケットササキ」の異名は、佐々木氏の自由な発想には際限がなく、ロケットのように次から次へと話が飛躍していくことから付いたとも言われます。佐々木氏は最後まで、多様な技術が拓く人類の明るい未来を信じ、追求し続けていました。

 晩年は、96歳の時に立ち上げたNPO(非営利団体)「新共創産業技術支援機構(ITAC)」を通じて、佐々木氏がイノベーションを起こすために最も大切だと考えてきた「共創」の哲学を広めると同時に、ワイヤレス給電などの新たなテクノロジーの開発を支援してきました。佐々木氏は、様々な活動の中で出会った優秀な若い技術者や子供たちのことに話が及ぶと、顔をほころばせて「未来は安泰だね」とうれしそうにしていました。佐々木氏が生涯を通じて若い才能に寛容で、その可能性に期待をかけてきたのは、世代を繋いで技術を絶え間なく発展させ、より良い社会を共に創りたいと願い続けていたからでしょう。

 ご冥福をお祈りいたします。

(本編は14年11月のインタビューを元に構成したものです。16年11月のインタビューの内容は、2月6日(火)に「日経ビジネスオンライン」で掲載する予定です。2018年2月4日追記)

 戦後70年を迎えた今年、日経ビジネスオンラインでは特別企画として、戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していきます。

 第3回は、佐々木正・シャープ元副社長の「遺言」です。佐々木氏は戦時中、B29爆撃機を撃墜するためにレーダー技術をドイツで学び、潜水艦「Uボート」で帰国。終戦間際には、「殺人光線」の研究にも動員されました。戦後は半導体産業の離陸を牽引し、世界初のトランジスタ電卓を開発。液晶や太陽電池など、電子立国として日本が発展する基礎作りに貢献しました。

 今年100歳になる佐々木氏は、今も手帳に様々なアイデアを書き留め続けるほど、イノベーションへの熱意は絶えません。その「電子立国の父」が未来に託す「遺言」とは。

 この連載は、日経ビジネス本誌の特集「遺言 日本の未来へ」(2014年12月29日号)の連動企画です。本誌特集では、戦後リーダー34人にご登場いただきました。

 次週以降は水曜日と金曜日に掲載していく予定です。

 もう、これが最後と思って、遺言として皆様に伝えておきたいことをお話しします。

 ノモンハン事件が起きた後の頃だったでしょうか。戦争で私は、陸軍の航空技術研究所に動員されました。当時、川西機械製作所に勤務をしていて、軍の命令によって水陸両用の航空機を作ったりしていました。それが動員されるきっかけでした。航空技術研究所で何をしたかというと、B29爆撃機を撃墜するためのレーダーの研究をさせられました。

 その技術を学んだのはドイツでした。あの頃、ドイツは連合国からの空襲に備えて、爆撃機を撃墜するために使うレーダー技術を開発していました。なぜ、ドイツには開発できて、日本にはできないのか。ドイツとは日独伊三国同盟の関係があったので、ドイツから技術を実際に見に来いと言われて、私はドイツに技術を習得しに行くことになりました。ソ連はまだ連合軍の仲間入りをしていませんでしたから、その隙にシベリア鉄道でドイツに渡ったんです。

戦時中、シベリア鉄道でドイツに渡る

 私は真空管の専門家でしたから、まずは同じ分野の権威だった(ハインリッヒ・)バルクハウゼン先生に会いに行きました。バルクハウゼン先生は、バルクハウゼン・クンツ振動というものを使って、地中通信の研究をしていました。その先生に、「なぜ、ドイツはあまり爆撃を受けないのか」と訪ねたら、爆撃機を落とすためのレーダーの研究をやっている大学を紹介してくれましてね。

 連合軍の爆撃機は、地上のレーダーに探知されること避けるために、飛行中に金属箔をぱーっと撒いてレーダーを錯乱させていました。いわゆる、ホワイトノイズです。ご存知ですか。金属箔と爆撃機の機体を区別できないように、レーダーに映し出される画面を真っ白にしてしまう。ドイツは、こうした金属箔によって錯乱されることなく爆撃機を探知するレーダー技術を発見していたのです。

コメント11件コメント/レビュー

似たような技術者の話で、戦中にはゼロ戦を開発し、戦後にYS11を開発した堀越二郎氏を思い出しました。V2ミサイルを開発し、終戦間際にアメリカに逃れて戦後宇宙ロケットを開発したブラウン博士なんかもそうですね。戦中戦後を生き抜いた技術者は本当に大変だったと思いますが、求められるものが何であっても、能力の限りを尽くして作ることに技術者としての慶びがあったのでしょうか、また、それがもたらす惨事についてどう思っていたのかを知りたいところです。
一点、編集者の思い込みか脚色か、独ソ開戦前にドイツへ渡ったのであれば、真珠湾攻撃の半年以上前なので、「B29を撃墜するためのレーダーの研究をするために...」というのは変です。ドイツで得たレーダー技術でB29撃墜のために研究していたのではないでしょうか。(2018/02/06 11:06)

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「【佐々木正】「東京裁判を免れた。生き延びた恩に報いたい」」の著者

大竹 剛

大竹 剛(おおたけ・つよし)

日経ビジネス記者

2008年9月から2014年3月までロンドン支局特派員。2014年4月から東京に戻り、流通・サービス業を中心に取材中

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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似たような技術者の話で、戦中にはゼロ戦を開発し、戦後にYS11を開発した堀越二郎氏を思い出しました。V2ミサイルを開発し、終戦間際にアメリカに逃れて戦後宇宙ロケットを開発したブラウン博士なんかもそうですね。戦中戦後を生き抜いた技術者は本当に大変だったと思いますが、求められるものが何であっても、能力の限りを尽くして作ることに技術者としての慶びがあったのでしょうか、また、それがもたらす惨事についてどう思っていたのかを知りたいところです。
一点、編集者の思い込みか脚色か、独ソ開戦前にドイツへ渡ったのであれば、真珠湾攻撃の半年以上前なので、「B29を撃墜するためのレーダーの研究をするために...」というのは変です。ドイツで得たレーダー技術でB29撃墜のために研究していたのではないでしょうか。(2018/02/06 11:06)

出てくる名前を見ると国際色が豊かで、一方国からは人体実験をやらされそうになったり国賊と呼ばれたりと、科学・技術の徒が何を大事にすべきが良く表れた文章だなと思いました。(2018/02/04 18:15)

>何とかして身を守らなきゃいかんなということしか、考えられなかったですね。
>諏訪湖に実験設備を放り込んで逃げたことを覚えています。

小物感満載な事をアッサリ述べるのは逆に潔いというか、恥じてないんでしょうね(2018/02/04 12:33)

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野口 悠紀雄 早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問