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起業はある意味、嫌々でした

マネックスグループ兼マネックス証券 社長CEO 松本 大さん【前編】

2015年1月26日(月)

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 マネックス証券は、オンライン証券の草分け。気が遠くなるような大金を手にできるチャンスを捨て、オンライン証券の可能性に賭けた男、それが松本大さんだ。資本主義と金融マーケットに育てられた恩を、広く富の再分配が適正に行われるような金融サービスを作ることで返したい、と語る松本さんに、古市さんがその信念のありかについて訊ねます。

(中沢明子:ライター/出版ディレクター、本連載取材協力・構成)

松本 大(まつもと・おおき)
マネックスグループ代表執行役社長CEO、マネックス証券代表取締役社長CEO
1963年埼玉県生まれ。1987年、東京大学法学部卒業後、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券株式会社入社。1990年、ゴールドマン・サックス証券株式会社に転職。1998年、同グループのリミテッド・パートナーに抜擢されたが、オンライン証券設立のために退社。数か月後に上場予定だったゴールドマン・サックスをやめるという決断は、上場時に得られる数十億円の報酬を諦めるという決断であり、当時、大きな話題となった。1999年、マネックス証券設立。現在、株式会社カカクコムなど数社の社外取締役を兼任。『お金という人生の呪縛について』『私の仕事術』など著書多数。(写真:陶山 勉、以下同)

古市:今日はどうぞよろしくお願いいたします。松本さん、とてもお忙しいと思うので、いきなりズバッとお話を始めさせていただきますが、松本さんのご両親は出版社社員だったそうですね。

松本:そうです。講談社で社内結婚。お袋は結婚後、辞めたんですが。サラリーマンの家庭に育ちましたから、僕もサラリーマン以外の人生は考えたことがなかったですね。父親よりも出来の良い歯車になろう、ぐらいの感じ。

古市:へえ、そんなふうに思っていらしたんですね。松本さんは開成中学、高校を出て、ストレートで東大法学部に入っていらっしゃいますが、「優秀な歯車」一直線だったのに、いつ頃から、起業を考えるようになったのでしょうか。

松本:まず、最初のターニングポイントになったのかな、と思うのは、大学2年の時、浪人で大学に入った友だちに「一緒に塾をやらないか」と誘われたこと。その友人の家は資産家で、友人も事務所みたいのを持っていたんですよね。それで、1階を塾、2階を住居にして一緒に住みました。

古市:一緒に住んだ?

松本:そう、2年間、一緒に住んだ。そいつとずっと話し込んでいたから、彼からいろいろな影響を受けました。そんななかで、彼の母親が「ふたりでアメリカに行ってらっしゃいよ」と僕にも航空券を買ってくれたんですよ。初めての海外旅行。21歳だったかなあ。

 僕にまで「航空券を買ってくれる」ことにびっくりしました。その時、自分にはお金もコネもないけれど、自分の能力を伸ばし、使って生きていく方法があるんだな、と思った。世の中には分業というものがあって、それぞれの生き方がある。お金や人脈といった呪縛から解かれたような気がしました。

古市:アメリカではどちらに行かれたんですか。

松本:ニューヨークとオハイオ州。アメリカを旅して一番ショックだったのは、英語がまったく通じなかったこと。英語くらいできないと世界が広がらないな、と思いましたねえ。

ゴールドマン・サックスでネット進出を提案するも…

古市:塾はいつまでやっていらしたんですか。

松本:3年間やりました。僕は大学に5年いたので、卒業の1年前までです。それで、アメリカ旅行でのショックが大きくて、アメリカの会社に入れば言葉くらいできるだろうと思って、外資系に。昔の僕からしたら、ありえない選択です。日本企業で優秀なサラリーマンになろうと思っていたのに。

古市:当時、ソロモン・ブラザーズに就職する、というのは東大法学部生にとって、どんなイメージだったんでしょうか。

松本:外資系金融機関が日本でも人を採用し始めた頃ですが、私の年代でも業界全部で15人といった人数でしたし、あまり知られていなかった。やはり、都市銀行、商社、官僚が人気の就職先でした。外資系金融なんて、よほどの落ちこぼれ、といったイメージでしたね。

古市:ああ、やっぱりそういう時代だったんですね。それで、ソロモンに入って、英語はすぐにできるようになったんですか。

松本:いやあ、ずいぶんかかりました。5年……いや、10年かなあ。ソロモンに3年、ゴールドマン・サックスに9年だから、12年間、外資系で働いたことになります。それで、その12年目にインターネットというものの可能性の大きさに気づいた。

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「起業はある意味、嫌々でした」の著者

古市 憲寿

古市 憲寿(ふるいち・のりとし)

慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員

1985年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。大学院で若者とコミュニティについての研究の傍らIT戦略立案等に関わる。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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