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【堀場雅夫】「パンツ破れた」、なんてレベルの話やないで

堀場製作所最高顧問が明かす「死」と「飢え」の恐怖

2015年1月28日(水)

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戦後70年となる今年、日経ビジネスオンラインでは特別企画として、戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していきます。この連載は、日経ビジネス本誌の特集「遺言 日本の未来へ」(2014年12月29日号)の連動企画です。

 日経ビジネスでは昨秋、掘場製作所創業者で最高顧問の堀場雅夫氏にインタビューを実施している。戦時中、自身が開発に携わった兵器のことや、戦後を生き抜くために数々の新規ビジネスを立ち上げていったことなどを、歯に衣着せぬ「堀場節」で語っている。

追記:堀場氏は7月14日、肝細胞がんのため京都市の病院で死去した。日本の未来へ、これからの日本を率いるビジネスパーソンへ、堀場氏が遺した言葉は何だったのか。「いやならやめろ」。色紙にこう書いた堀場氏の思いとは。本記事は1月28日に掲載したものだが、7月17日にトップページに再掲した。

 写真、撮影したらくださいよ。いや、すぐ死ぬわけじゃないけどね。遺影には新しい写真を使ってほしいから。そんなびっくりせんでも、何も自殺なんかせえへんて。

元祖ベンチャー魂
堀場 雅夫(ほりば・まさお) 旧制甲南高校を経て京都大学理学部に進学。在学中の1945年に堀場無線研究所を創業。国産初のガラス電極式pHメーターの開発に成功し、53年に堀場製作所を設立。80年代以降は「京都のご意見番」として地元メディアで論陣を張った。78年に53歳で社長を辞し、会長に。2005年、最高顧問。1924年12月生まれ。(写真:杉本幸輔、以下同)

 お葬式はもう簡単に、別に何もいらへん。お別れの会をして終わりにしたい。そやけど、あんたの葬式をしたいというやつがいっぱいいて困る。

 僕が一番したいのは、ほんまに死ぬ直前に葬式をやって、ほんまにあいつは泣いてくれよるのか見てみたい。口ばっかりで、「おおっ、逝きよったか」と言って喜びよるのか。それだけはのぞいてみたいんやけどな(笑)。

 戦争の時の話を聞きたい? わかりました。僕が生まれたのは1924年なんですけど、僕の若い頃の記憶は戦争しかありませんわ。

 小学校に入った時に満州事変が起こり、高校時代にいわゆる大東亜戦争、太平洋戦争が始まった。そして京都大学2回生から3回生になろうかという時にようやく戦争が終わったんです。

 ですから、もう、僕の人生ゆうのは、学校に入ってから学校を出る直前まで戦争一色でした。「平和」というもんを少年時代は知らんかった。満州事変の時、大陸にいる兵隊さんに対して、キャラメルやチョコレートや激励の手紙を慰問袋に入れて、送ったことをよう覚えています。

 大戦時は、僕の家は京都の下鴨にありました。当時は理学部の学生で、軍部が技術者を欲していたことから戦地に赴くことはなかったですが、2回生になってから陸軍の研究所に研究員の補助として行ったんです。

B29撃墜のため、「自爆電探」の開発に従事

 当時、僕が開発の手伝いをしたのは、「秋水(しゅうすい)」というロケット飛行機に搭載する「自爆電探」というレーダーでした。秋水に兵隊が乗り込んで、B29に当たって自爆するためのレーダーです。人間魚雷から発想を得て、ロケット兵器にしようとしたんですね。その実験を、伊丹飛行場でやっていたんです。

 伊丹飛行場では、駐機中の飛行機を仮想敵機に見立てて、グライダー使って空から突撃する実験を繰り返しやっていました。秋水は開発中でしたから、グライダーに計器を積んで実験するしかなかったんです。

 自爆電探にはブラウン管モニタが備わっていて、その十文字の標的の真ん中に敵機をもってくるように操縦するんです。それはそれはものすごい速度ですから、目視で操縦することはできない。本当に飛行機にぶつかってしまうと困りますから、当たる寸前で止める、という実験の毎日でした。

 だから戦争中、僕は伊丹飛行場にずっとおりました。飛行場だから空襲の標的にされた。よくグラマン機が機銃掃射に来るんです。飛行機の整備兵を狙い撃ちです。兵隊だけではありません。研究者である我々の命も狙われました。

 ぱたっと襲撃が終わると、足が取れかけて大けがを負った人や、大量出血している人、もはや絶命している人がいっぱい転がっている。僕らは、そうした人を飛行場の医務室に運ぶんです。運んでいる途中にまた戦闘機が来て、そこをバリバリバリバリ…とやりますから、なかなか運べない。

 僕らも下から機関砲で狙い、時に相手を撃ち落とすこともありました。するとパラシュートで降りてきよる米兵を、みんなで集まって棒でどつき回したこともありました。でも「殺すな」と言われていましたな。殺してしまったら情報が入りませんから、「絶対に殺すな」と。結局、米兵の手足を縛って、日本兵に渡して捕虜にする。僕は若かったせいもあり、「頭、かち割ったろかいな」と思っていましたけれど。何せ当時は戦争中です。平時における精神状態ではありません。

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「【堀場雅夫】「パンツ破れた」、なんてレベルの話やないで」の著者

鵜飼 秀徳

鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)

日経おとなのOFF副編集長、浄土宗僧侶

京都市景観市民会議委員(2016年)、佛教文化学会会員。 1974年生まれ。成城大学文芸学部卒業後、報知新聞社へ入社。2005年日経BP社に入社。日経ビジネス記者などを歴任。2016年4月より日経おとなのOFF副編集長。浄土宗僧侶の顔も持つ。正覚寺副住職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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