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【仲代達矢】「『俺は、俺だ』と抵抗しろ!人生は長くねぇぞ」

高倉健と菅原文太が去った後に遺す言葉

  • 江村 英哲

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2015年2月18日(水)

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戦後70年となる今年、日経ビジネスオンラインでは特別企画として、戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していきます。この連載は、日経ビジネス本誌の特集「遺言 日本の未来へ」(2014年12月29日号)の連動企画(毎週水・金曜日掲載)です。

第13回は、俳優の仲代達矢氏。演劇、映画、テレビドラマなどで幅広い活動をし、戦後の演劇界を引っ張ってきた。仲代氏が現在抱く、芸能の世界の危惧とは何か。少年時代を振り返ると、俳優を目指した裏側には壮絶な戦時体験があった。

銀幕の闘士
仲代達矢(なかだい・たつや) 1952年に俳優座演劇研究所付属俳優養成所に入所。57年に俳優座所属の女優・宮崎恭子(故人)と結婚。活躍の場を舞台から映画に広げ、小林正樹監督の「人間の条件」、黒澤明監督「椿三十郎」などに出演。75年からは、妻とともに「無名塾」を開設する。自らも第一線で活躍しつつ、若手役者の育成に力を注いでいる。1932年12月生まれ。(写真:サトウヒロノブ、以下同)

 納得がいかねえ……。

 そんな時、みなさんどうしていますか。抵抗していますか。ケンカしていますか。どうも僕には、最近の人は「俺は、俺だ」という気概が薄れているように映るんです。

 僕は、自宅に併設した「無名塾」という演劇の教練所を、手弁当で運営しています。そこで役者志望の若い人を育てている。稽古場ではよく、塾生を挑発するんです。

 「お前、並でいいのか」「平和ボケで生きているのか」「一生はそんなに長くねぇぞ」ってね。敢えて厳しい言葉をぶつけるのは、そいつの個性を呼び覚ますためです。

 僕が俳優になった昭和30年(1955年)あたりは、ひと言で俳優といっても、色々あったんです。例えば当時の僕は、新劇俳優でもあり映画俳優でもあった。二足のわらじを履いていたわけです。だから、映画界へ行くと「新劇が何しに来たんだ」と言われるし、新劇へ戻ると「映画スターが来た」、なんて言われてね。自分はどっちの役者なんだろうって思ったけれど、「異邦人役者でいいんだ」と割り切っていました。

 この頃は本当にいろんな俳優がいてね。面白いのは、みんながみんな強い個性を持っていたことです。映画俳優には、もともと三味線を弾いていた勝新太郎みたいなのが出てきていた。萬屋錦之助というのは歌舞伎から来た。三国連太郎みたいな変な人もいてね。みんなが、「おいおいおい」っていうくらい強烈な個性を持っていましたよ。監督の言うことも聞かないんだから。

 みんながいい意味でわがままだから、どうしたってぶつかるわけです。それで、血だらけのケンカになる(笑)。ケンカをして、仲良くなって、またケンカして。そんな風に個性をぶつけていたわけです。

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