USEN取締役会長の宇野康秀氏は辛い道を選んでしまう経営者だ。ただ、その選択が失敗ではない。厳しい状況にまみれながらも、必ず節目となるゴールにたどり着いている。辛い道を選ぶ心理とは――。昨年12月、3社目の上場を果たした宇野氏に聞いてみた。(聞き手は瀬川明秀)

インタビューの前に、宇野氏の経歴を簡単に紹介
目の前にある分かれ道。1つは楽な道、1つは辛い道。さて、あなたはどちらを選ぶだろうか?
インタビューの前に経歴を紹介。
1988年にリクルートコスモスに入社。1989年に、人材開発関係のベンチャー企業、インテリジェンスを創業。苦心しながらも成長軌道に乗せ、インテリジェンスは2000年にジャスダックに上場を果たした。宇野氏はインテリジェンスの上場を目前にしながらも、病に倒れて死を間近にした父親の頼みを受け、1998年に父親の会社・大阪有線放送社を引き継ぐことになる。これが最初の困難である。
そこでは“2代目社長”として、大阪有線の再建に取り組んできた。当時の大阪有線は有利子負債が800億円あったうえに、音楽配信用のケーブルを無許可で張り巡らせていた。経営再建に向けて、違法状態だったケーブル網の正常化を推し進め、「USEN光ファイバーサービス」や映像配信サービス「GyaO」といった「ブロードバンドビジネス」の新規事業を手掛けてきた。
正常化、経営再建、新規事業を推し進めた結果、生まれ変わった「USEN」は2001年にジャスダックで上場を果たした。有利子負債800億円の返済も果たした。「ライブドア騒動」の際は、ライブドア株をフジテレビから約95億円の個人資金で買い取り、世間の注目を集めた。当時、マスコミでは、「ヒルズ族の兄貴」としてたびたび宇野氏を取り上げていた。(当時の宇野氏については、書籍『USEN宇野康秀の挑戦!カリスマはいらない。』に詳しい)
そのままいけば「業界の成功者」だった。
ところが、2008年秋にリーマンショックが襲った。USENは2008年8月期と2009年8月期の決算で、合わせて1134億円を超える損失を計上。宇野氏は子会社や事業を売却して財務改善に取り組んだものの、2010年にはUSEN代表取締役から退くことになった。「二代目が父の会社をつぶすことに――」と非難されたこともあった。
それでも、宇野氏は経営を粛々と続けていた。USEN社長退任とほぼ同時期にUSENの光ファイバー販売事業・映像配信事業部隊を、「U-NEXT社」に移管。U-NEXT社の株式を宇野氏個人がUSENから買い上げて事業を続けたのだ。それから3年後の2014年12月、このU-NEXTを東証マザーズに上場させたのだ。宇野氏にとっては、インテリジェンス、USENに続いて3度目の上場である。
「この人はどうして辛い道ばかり選ぶのか」
新経済連盟が2014年12月に開催した「失敗力カンファレンス」に宇野氏が登壇した。この時の話が興味深かった。
「一時期、仕事をしていると本当に辛すぎるので、もっと辛いことをしようとトライアスロンなどに打ち込んだ」「トレーニングで皇居を走り、近くにある銀行に向かって『絶対に借金は返してやる』と思いながら走っていた」「銀行から即刻停止と言われた部門の社員を連れてU-NEXTで事業を続けた」などと当時の様子を振り返った。
カンファレンスでの話を聞きながら「この人はどうして辛い道ばかり選ぶのか」「なぜ諦めないのか」「どうやれば一度ならず三度も上場を果たせるのか」など興味と疑問がわいてきた。そんな疑問をそのままぶつけてみた。
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